*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

《結界融解》



ユンホは…
チャンミンの膝で静かに寝息を立てていた。
ハヤンの一件で、ユンホの心労が頂点に達したのだろう。
松葉のように長い睫毛は、
涙が滲んでいるように見えた。
膝の上で眠るユンホの寝顔と重さを感じながら、
チャンミンは安らかな幸福感に包まれていた。


《けっして明るい気持ちではないのに…
ユンホのそばにいるだけで、こんなにも心が凪ぐ。
どんなにささやかな瞬間でも、幸せを感じることができる。
体を繋げることよりも、何よりも…
こうしているだけでユンホが愛しくてたまらない》


青白い頬にかかった黒髪を、
そっと耳にかけてやると、
ユンホの美しい横顔が月明りに照らされた。


《ああ、このまま…時が止まってしまえばいいのに》


チャンミンは…
ユンホの白い瞼にそっと口づけた。


カサッ──


草むらが揺れ、明らかに空気が変わった。


「誰だ?!」


声を潜め、草むらの暗闇に目を凝らすと…
二つの赤い目が光り、チャンミンを凝視している。
獣の低い唸り声が微かに聞こえた。
身構えたその時、草むらから大きな黒い影が現れた。


「チャンミン様──」


それは一頭の大きなトラだった。
よく見ると、背中にもうひとつ小さな影が乗っている。


「ユタ…?ユタと…ロロなのか?!」


「チャンミン様…お久しゅうございます」


琥珀色の瞳をしたトラは、
チャンミンの足元にすり寄った。


「チャンミン様ぁ!」


「ロロ!」


ユタの背中に乗っていたのは、キツネの姿をしたロロだった。


「もう!心配したのですよ!
全然戻ってこられないから…
人間界でひどい目に遭っているんじゃないかって!」


ロロはチャンミンの胸に飛び込み、
ぺろぺろと顔を舐め回した。


「ユタ、ロロ…心配をかけてしまったね。
私は…こんな格好をしているけれど…元気だよ」


「はっ!これは…ユンホさんではないですか!」


チャンミンの膝で眠っているユンホは目を覚まさない。
ユンホに気づいたユタとロロはうれしそうに寝顔を覗き込んだ。


「うん…人間界に転生し、またユンホにめぐり逢うことが出来たのだよ。
もしかして…湖底の世界で、私たちのことは?」


「はい。ある程度のことは存じていました。
ですが、なにぶん結界が強固で。
特にこの宮殿にはとても強い結界が張り巡らされているので、
俺たちもやっとくぐり抜けることができたのです。
龍王様は、まだ…そこまでは結界が広くないので。
そうだ。チソンアは?元気にしていますか?」


「チソンアは元気だよ。
心細かった私にとてもよく尽くしてくれているよ」


「ええっ!チソンア、ずるいですよ!
俺たちだって早くこっちに来たかったのに。
結界が通れなくて、遅れてしまって。
小さなチソンアだけしか結界を通れなくて…
でも、もう大丈夫ですよ。
龍王様のお力で少しずつ結界が開き始めていますから!」


ロロは鼻の穴を膨らませ、得意げに胸を張った。


「でも…ユンホの家に行ったのは父王様なのだろう?
人間の貴族の姿に身をやつして…」


「はい。その通りです。
龍王様は『私の大事なものを取り戻しに行く』と仰って。
本当はチャンミン様も取り戻そうとなさったけれど、
宮殿にはやっぱり入ることができなくて…」


父王はなぜユンホの父に会いに行ったのか?
翡翠の小箱など、龍王の父ならいくらでも手に入るものなのに…
父王には、何かほかの思惑があるように思えてならないチャンミンだった。


「ユンホさん、起きませんね」


ロロが繁々とユンホの顔を覗き込んだ。


「ふふ。本当に。ユンホは心も体もとても疲れていて…
傷ついているのだ。私は人間界に来てよくわかった。
ユンホがどれほど苦労の多い人生を生きているかを」


「そうでしたか…では、もう少し寝かせてあげましょう。
俺たちの妖気に当たられ、しばらくは眠り続けるでしょうから」


トラの顔をしたユタが、にっこりと笑った気がした。


「そなたたちは…もうずっとここに?」


「そんなわけにはいきません。
人間界では獣の姿でいるしかないので…
トラやキツネがチャンミン様の周りでウロウロすると困るでしょう?」


「はは…それはそうだね」


「また、必ずきますから!
もうすぐ結界が広くなって…
龍王様が降臨され、チャンミン様をお迎えに来られますよ!」


無邪気に喜ぶユタとロロ…
チャンミンは儚く笑うしかなかった。