*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。
《刹那の愛》
地下牢の重い扉を開けると、
強烈な冷気が漂っていた。
天然の岩石を利用して作られた地下牢は、
一年中真冬のような冷たさだった。
忍び足で階段を降りると、
松明の灯りか、ほんのりと明かりが漏れている。
《気づかれないように…》
岩壁に身を潜め、
明かりのほうを覗くと、
椅子に座ったままの牢番の大男が二人、
牛のようないびきをかいて眠っていた。
《チャンミン…ありがとう!》
眠りこけている牢番の横をすり抜け、
洞窟のような牢部屋へと向かった。
暗がりに目を凝らし、ハヤンの姿を探した。
牢部屋は幾つかあったが、どれも人の気配がない。
一番奥の牢部屋の前に立った時、
暗闇の中にかすかに気配を感じた。
「ハヤン…先輩?」
「ユン…ホ…なのか?」
やっと聞き取れるほどの微かな声。
ユンホは駆け寄り、牢の鉄柵にしがみついた。
「先輩…ご無事ですか?」
「ああ…だが、どうしてここへ?
屈強な牢番がいただろう?!
こんなところに来てはいけない!
もし、見つかったら君まで捕らえられてしまう」
「大丈夫です。牢番はチャンミンが…
薬を食事に混ぜて眠らせてくれました」
「チャンミン?そうか…あの子が…」
暗がりに目が慣れてくると、
互いの表情が見えるようになった。
厳しい取り調べがあったのか…
ハヤンの頬はげっそりと削られているように見えた。
たった一日の出来事であったが、
美しい金色の髪は色褪せ、一気に老けてしまった。
「ハヤン先輩、いったい何があったのですか?
先輩と…コムはひそかに愛し合っていたのでしょう?
いつか私に打ち明けてくれたではありませんか。
同性しか愛せない事、ご両親はご存じだと。
でも、コムとのことは…私以外、誰も知らないと。
それなのに、どうして王警隊が…」
「ユンホ…心配をかけてしまって…すまない。
こんな俺のために危険を冒してまで…
ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」
咳き込んだハヤンの口元に血が滲んでいた。
よく見ると唇が切れ、頬も赤く腫れている。
「そんな目で見ないで…王警隊には身分など関係ないのだよ。
俺が貴族の息子でも…罪を犯した者には容赦ないんだ。
それに、たしかに私は国の掟に背いたのだから」
「先輩は、ご自分たちの愛が間違っていたと?
そう思われているのですか?!
あんなに自信にあふれ、
私に真の愛とは何かを説いておられたのに…」
ハヤンの両手と両足は鉄輪がかけられ、
重い鎖でつながれていた。
身動きができないハヤンは、
冷たい岩の壁に凭れて宙を見上げた。
「人の心はわからないものだ。
どんなに愛していても…愛されていても…
コムとのことは…すべて俺が悪いんだ」
ハヤンがぽつりぽつりと話し始めた。
それは蚊の鳴くような小さな細い声で…
ユンホは鉄柵に顔を寄せ、耳をそばだてて集中した。
「コムが…自分の命を絶とうとしたんだ」
「えっ…」
ハヤンの恋人、コムはまだ若い医者の卵だ。
美しいハヤンに憧れ、思いが叶ったことはコムにとって幸せの絶頂だった。
ハヤンに愛され、毎日が輝いていた。
裕福な大商人の家に生まれたコムは、
親に愛されて何不自由なく育っていた。
思い通りにならない事は何もない。
ハヤンと恋仲になってからは、その想いが一層強くなった。
「ハヤン、僕だけのものになって」
「俺はコムだけのものだよ?」
「そういうことじゃなくて!
ねえ、医官をやめて宮殿から出ない?
任務だからって、ハヤンが誰かの肌に触れるなんて…
僕は我慢できないよ!嫉妬でおかしくなりそうなんだ」
「医官をやめる?!そんなことはできないよ!
俺は…俺が男しか愛せないと知っていても、
胸を詰まらせながらでも見守ってくれている両親に、
これ以上の親不孝はしたくない。
勘当されても当然なのに、父は俺を見捨てなかった。
息子として子孫を残すことはできないけれど…
せめて医官として、世の中の役に立つことが恩返しだと思っている」
コムはぐっと言葉を飲み込んだが…
二人の仲が深まるほどに、コムの独占欲は激しくなっていった。
口論が絶えなくなり、ハヤンの心は疲弊していく。
それはコムも同じで…
愛するがゆえに、嫉妬という「悪魔」がコムの心を蝕んでいった。
「そして、とうとう…
コムは実家で、衝動的に自分の命を絶とうとした。
俺が贈った鏡を割り、手首を…
幸い家族が見つけるのが早くて、一命をとりとめた。
だが…その理由を父親に尋ねられたコムは…
俺との情愛をすべて告白したんだ。
当然、父親は怒り…
『医務庁の上司に息子が弄ばれた』と、上申した。
医務庁は王様の直属だから…王警隊が動いた。
コムも罰せられるだろうが、責めを負うべきは俺だ。
年端もいかぬ医官候補生を手籠めにし、弄んだと…
厳罰に処せられることになるだろう」
ハヤンの恋の悲しい顛末は…
ユンホにとって他人事ではない。
薄気味悪い波が、
黒いうねりとなってユンホの胸に迫ってくる──