*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

《父の領分》



見上げるほどの背丈になった男は、
不敵な笑みを浮かべてユンホの父に言った。


「この翡翠の小箱は、
余がそなたの息子に授けたものだ。
親孝行な息子が、どうしても父の病を治してやりたいと願った。
それゆえ…余は、この翡翠の小箱に秘薬を入れて息子に授けた。
この薬はそなたを治すためだけに役立つものだ。
そなたの病は平癒したと見える。
よって、この翡翠の小箱は返してもらう」


「あ、あなたは…」


「余は真朱の湖に棲む龍である。
そなたを治してやったのは、
息子の清く正しい心、親への孝行心…
そして…余の贖罪のためだ」


「ユンホを…知っているのですか?!
なぜ、ユンホが龍の秘薬を手にしていたのですか?!」


父の問いには答えず、
貴族は翡翠の小箱を懐に入れた。
眩い光が男を包み込むと、
ユンホの父はあまりの光の強さに顔を背けた。


「そなたの病は消え去った。
寿命果てるまで存分に生きるが良い」


その声は低く静かで、神々しかった。
竜巻の渦が男を吸い込むと、
光と共にあっというまに消えてしまった。
気が付けば、部屋の中は何事もなかったように静まり返っていた──



《父王様だ!父王様が…ここに来たのだ。
翡翠の小箱、真朱色の秘薬…
ユンホを人間界に帰すとき、その薬を持たせたのか?》


《チャンミン様、龍王様が結界を解かれたのですね!
愛するチャンミン様のため、ご自分の力を振り絞って…
これで湖底の世界と人間界の結界は緩みました。
チャンミン様も真朱の湖に帰れますよ!》


チャンミンの胸の中に隠れているチソンアが、
うれしそうに囁いた。
そんな大喜びのチソンアとは反対に、
チャンミンの思いは複雑だった。


《父王様が人間界に降臨できたということは…
そのうち、私を連れ戻しにこられるはず。
そうなれば、再びユンホと離ればなれになってしまう》


怒りと落胆が混ざったユンホの声が突き刺さり、
チャンミンは現実へと引き戻された。


「では、父上…私が握りしめていたのは…
龍から授かった秘薬だと言うのですか?
なぜ?どうして私が…!
龍などと…そのような伝説の聖獣など見たことはありません!」


チャンミンは鋭い刃で胸を突かれた思いがした。
ユンホに悪気などないとわかっていても、
やはり思い出してはくれないのだ…と。


「ユンホ、私も夢を見ていたのかと思った。
だがたしかに…
その男は、自分は真朱の湖の龍だと言ったのだ。
大切にしまっていた翡翠の小箱は、影も形もない。
それは夢ではないという証拠だろう?
どんな薬を試しても治らなかった私が…
いまはこのように元気でいられるのは、
あの薬のおかげなのだ。
真朱の湖…あれはけっして嘘でも夢でもない。
私にはわかる」


「父上…」


「私はあの龍にも、ユンホにも感謝しているのだよ。
だから…翡翠の小箱を龍神にお返し奉ったのだ」



ユンホは父から聞かされた話を、
にわかに信じることはできなかった。
だが、なぜか薄っすらとした安堵感があった。
得体の知れない薬だと思っていたのは、
龍から授かった秘薬であったのだ。
そう思えば尚更…
父以外の誰かに使わなかったのは正しい考えであったとも思った。


「ただ…本当に残念だ。
あの薬なら、王子様をお助けできたかもしれないのに」


都へ向かう馬上で、ユンホは肩を落とした。


「聡明な王子様を救うためなら、
あの秘薬を使うことを許してくれたかもしれないのに…
そう思わないか?チャンミン」


チャンミンは俯いたまま、返事をしなかった。


「チャンミン?大丈夫か?」


「私は…なんと言っていいか…
わからないのです」


「うん…そうだろうな。
私も気持ちの整理がつかないよ。
とにかく、早く宮殿へ戻らねば。急ごう!」


馬に鞭をいれ、二人を乗せた馬は疾風のように里山を駆け抜けた──



ユンホとチャンミンが宮殿に着いた頃には、
すでに日が西へと傾いていた。
急いで東の宮へ向かうと、
大勢の医官が広間に溢れていた。
王子の部屋には偕王と王妃も駆け付け、
東の宮は重苦しい空気に包まれていた。


「ユンホ!待っていたぞ。
王子様が二人を呼んでおられる!」


「ですが…王様と王妃様が…」


「いいのだ。ユンホ。クンに会ってやってくれ。
そなたと…侍女のチャンミンを…クンは待っている」


偕王と王妃は手を取り、悲痛な面持ちでユンホを部屋へ通した。
見慣れたクンの寝室…
薄い布で囲われた寝台に、クンは横たわっていた。