*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。
《事破》
チャンミンとクンを乗せた輿が峠に差し掛かる頃、
ユンホが馬で追いついた。
トウヤの援軍も到着したばかりで、
辺りは王宮の警護兵で緊迫した雰囲気に包まれている。
「トウヤ先生!」
ユンホは馬を降り、輿へ向かおうとするトウヤに声をかけた。
「ユンホ!俺もいま着いたところだ。
大変だったな。王子様のご様子は?!」
「はい。発作は治まりましたが…
いつ急変されてもおかしくない状態です」
トウヤは頷き、輿の中へ声をかけた。
「王子様、トウヤでございます。
お迎えに上がりました。失礼…」
輿の戸を開けると…
中にはチャンミンの膝で眠るクンの姿があった。
「いま…眠っておられます」
中にいたチャンミンを見たトウヤは驚きながらも、
その表情からクンの状態を読み取った。
「チャンミン、王子様は?」
「ユンホさん…大丈夫です。
静かな寝息を立てて…落ち着いておられます」
「チャンミン、ありがとう。
チャンミンのおかげで、王子様は心安らかでおられたのだね…」
チャンミンの後ろから、チソンアが顔を出した。
「チソンアも…一緒にいて見守ってくれたのか。ありがとう」
チソンアは眠るクンの頬に顔を寄せ、「きゅん」と小さく鳴いた。
「王子様…ご無事で何よりだった。
ユンホ、チャンミン。ご苦労だったね。
よく王子様を守ってくれた。
よし、急いで都に向かおう!」
トウヤの指示のもと、
警護兵たちは、クンをそっと馬車に乗せ換えた。
「ユンホ、そなたは?」
「私はチャンミンとあとから参ります」
「わかった!」
トウヤが馬車に飛び乗り、
援軍は都を目指して動き始めた。
「王子様…」
チャンミンは…
まるで、我が子を手放すような切なさを感じていた。
だが、そんな感傷的な気持ちに浸ってはいられない。
一刻も早くクンを都へ戻し、
宮殿で手当てをするのが何よりも大事だった。
地面の衝撃が病身に障らぬようにと、
布団を何枚も重ね、敷き詰めた馬車は…
土煙を残し、峠を下っていった。
残されたユンホとチャンミンは、
馬車が見えなくなるまで瞬きもせずに見送った。
「さあ、私たちも行こう」
「はい…」
ユンホはチャンミンを馬に乗せ、
抱きすくめるようにして手綱を引いた。
ユンホの鼓動を背中に感じ、
不謹慎だと思いながらも、チャンミンは体が熱くなった。
チソンアはチャンミンの懐に入り、じっとその様子を見ていた。
手綱を引いた馬は、やがて都とは反対の方向へと走り出した。
「ユンホ…さん?都へ行かなくては。
こっちはまた里山へ逆戻りになりますよ?」
「わかっている。でも…私にはやらねばならぬことがあるんだ。
王子様のためにも…」
「‥‥」
チャンミンは黙ってユンホについて行くしかなかった。
都へ向かわず、何をしようというのか?
チャンミンの胸に不安が過った…
あれこれと考える時間もなく、馬はユンホの家へ走っていく。
馬上の揺れに身を委ね、チャンミンはユンホの中に溶けそうだった。
《ユンホと一緒なら…何も怖くない。
ただ、私はユンホのそばにいることだけが…》
まっすぐ前を見つめるユンホの凛々しい眼差しと、
首筋にかかる吐息に、チャンミンは時が止まればいいと願わずにいられなかった。
「父上!父上!」
「どうしたのだ?!
王子様に付き添い、都に戻ったのではないのか?」
庭先から大声で呼ぶユンホの声に、
ユンホの父は驚いた様子で家から出てきた。
「父上、〝あの薬〟は?どこにあるのですか?!」
父の横をすり抜けざまにユンホが訊ねた。
「薬?!」
「そうです!あの…翡翠の小箱に入った赤い薬です!
もう時間がないのです!いままで躊躇っていましたが…
あの薬を王子様のために使います!」
「ユンホ!待ちなさい!私の話を聞きなさい!」
ふだん、温厚で物静かな父が…
ユンホに向かって、初めて声を荒げた。