*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

《めぐる因果》



「慌てるな」


老獪な大ナマズは静かに言い放った。
怒りのあまり、龍王の口元からは炎が噴き出しそうになっている。


「妙な昔話をほじくり返してしまったが…
わしは自分の恨みでチャンミンをどうこうしようとは思っておらん」


「では…チャンミンは無事なのか?!
おまえがチャンミンを攫い、隠したのか!」


「まあ、落ち着け。
わしは恨んではおらんが…すべて忘れたわけではないぞ。
湖をおまえに奪われたのは、わしら一族にも悪かったところがある。
おまえが湖を治めるようになり、
人間たちとも平和に暮らせるようになった。
だがな。わしはおまえに…
愛する者を力ずくで奪われる痛みというものを、
少しは味わわせてやりたいと常々考えっておったのだ。
強い者だけが正義ではない。弱い者にも心があるのだと…
それ踏みにじることは許されんことだと。
龍王よ。おまえに足りなかったのは『情け』だ。
あの時、問答無用に湖を制したこと…
少しの情けを以っていてくれたなら、
淘汰した者たちの魂に敬意や謝意を以っていてくれたなら…と。
長い年月を経て、わしはおまえにそれを伝えたかった」


大ナマズの言葉に龍王は項垂れた。
龍族の王となり、幾万年が過ぎ、
いつしか自分の地位に溺れ、
他者を蔑ろにした罪が…チャンミンを危険に晒すことになったのか?
龍王の顔から攻撃の色が引き始めた。


「わかってくれたのだな?
わしはチャンミンの命を奪ってなどおらん。
『福寿の桃』を採りに来た時から、
あの王子は只者ではないと感じていた。
わしはチャンミンの賢さを知っているし、
素晴らしい素質があると思っている。
龍王、おまえには悪いが…
わしはチャンミンの望みを叶えてやっただけだ。
チャンミンはいま、人間界にいる。
おまえの水晶玉には映らんだろうがな。ふっふっふ」


「人間界に!?ユンホを追いかけていったのか!?」


「それぐらいの妖力はわしにも残っているぞ。
おまえはチャンミンの様子を知ることは出来ない。
一日千秋の思いでチャンミンの帰りを待つがいい。
『福寿の桃』を分けてやった時、おまえはわしに素直に頭を下げた。
それも息子可愛さに、ユンホに桃を食べさせるためだろう?
おまえに桃をやったのは、ささやかなしっぺ返しだ。
わしはおまえの大事な息子を殺したりはしない」


龍王は為すすべもなく、桃園を去るしかなかった──



「そうだったのか…父王様には申し訳なかった…」


「本当ですよ!大ナマズの元から戻って来られた龍王様のお姿…
いままで見たこともないくらい、お窶れになっていましたよ!
チャンミン様ったら、本当に親不孝ですよ!!」


チャンミンは返す言葉もなかった。
聖獣の王である父が、下級妖怪の大ナマズに頭を下げる…
父王の気持ちを思うと、チャンミンは胸が痛んだ。


「でも…チソンアはどうしてここへ来れたんだ?」


「それは…水晶玉に映らないチャンミン様を心配して…
龍王様が、ユタヒョンとロロと僕をお呼びになったんです。
誰か一人だけ、人間界に偵察に行ってこいと。
チャンミン様が人間界に行かれてから、
湖底の世界と人間界の結界が強くなってしまって…
僕たちも簡単に人間界に行けなくなっていたんです。
龍王様が一人だけなら、どうにか魔力で人間界に送れそうだと仰って」


「それでチソンアが?」


「あれ?僕だとうれしくないんですか?ユタヒョンかロロがよかったですか?!」


オコジョの姿のチソンアは、
眉間に皺を寄せて不貞腐れた顔をした。


「いや、そうじゃない!うれしいよ!チソンアに会えて」


「本当に?」


深く頷くチャンミンに、チソンアは機嫌を直した。


「それならいいです。だって…
ユタヒョンはトラでしょ?うろうろするには大きすぎるし、目立ちます。
チャンミン様を探すのは無理ですよ。
ロロはキツネだけど…人間界が怖いんですって。
前に捕まって毛皮を剥がれそうになったことがあるから」


「そうだったのか…そんなことが…」


「なので!体も小さくて、目立ちにくくてすばしっこい僕が…
チャンミン様の様子を見に行くことになったんです。
ここまで長かったですよ。暗くて長ーい井戸をくぐって」


「井戸?!そうか…やっぱり私は…
あの井戸をくぐり抜けてここへたどり着いたのか」


自分が落ちて助けられたという井戸は、
湖と人間界を繋ぐ道だったのだ…


「それで…チャンミン様はどうしてここに?
ここは人間界の王様がいる宮殿なんですよね?
二、三日ここの庭に潜んで様子を見ていて…
王様がいる場所なんだってわかりました。
チャンミン様は…女の恰好をして何をしているのですか?
ユンホさんには会えたのですか?!」


チャンミンは、いままでのいきさつをチソンアに話して聞かせた。
自分も同じように井戸を抜けて人間界に来たこと。
人間界に来てみると、自分は宮殿で働いていた女官「チャンミン」になっていたこと。
まるでこれまでもずっと宮殿に仕えていたことになっていて、
しかも女人の体に転生していたこと…
そして…愛しいユンホは、この国の王女の婚約者で…
真朱の湖での記憶をすっかり失くしてしまっていることを、
夢中でチソンアに話し続けた。


「チャンミン様、ご苦労されたのですね…
僕はここではオコジョの姿でしかいられないけれど、
これからはいつもチャンミン様を見守っていますからね!」


そう言って、チソンアはまたチャンミンの胸に顔を埋めた。
チソンアという味方を得て…
絶望していたチャンミンの心に、
ほんの少し明るい希望が生まれた気がした。