*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

《東風吹かば》



ユンホをクン王子の元へ通わせることを決めた偕王は、
妹のシュリ王女にその旨を伝えた。


「ユンホを?クン王子の元へ?
兄上様、なぜですか?!どうしてユンホでなくてはいけないのですか!
医官なら大勢いるではありませんか!」


「たしかに医官は大勢いる。
これは王子の侍医であるトウヤの提案なのだ。
クンが生まれてから今日まで、トウヤはずっと王子を見守っていてくれた。
そのトウヤの推薦なのだ。
ユンホは誠意もあり温厚で、腕のよい医者だ。
きっと王子をよく診てくれるはずだと」


「ユンホは婚礼を控えた身なのです!
わたくしはユンホの体が心配で…」


シュリ王女の小さな呟きに、偕王は顔色を変えた。


「シュリよ、王子の病はうつるものではないと知っているであろう?
クンは生まれつき心臓が弱いのだと。
それに、ユンホには無理はさせない。
婚礼の準備も滞りなくできるよう配慮する。
トウヤの診たてでは…クンはもう長くないと言うのだ。
何度も乗り越えてきたが、今回はもう…
だから、せめて穏やかに逝かせてやりたい。
ユンホの清らかな心に触れ、最期の時を穏やかに…」


兄王にそう言われると、シュリ王女も返す言葉がなかった。
シュリ王女にとってもクンは可愛い甥には違いない。
死期が近いと知った王女は、
自分の了見の狭さを恥じ、ユンホをクンの元へ遣わせることを承諾した。



トウヤの推薦でクン王子の元へ通うことになったユンホは、
どこか気持ちが晴れなかった。
東宮、次期国王になるであろうクンを助けたい思いは当然ある。
だが、その手段として…
あの翡翠の小箱に入った赤い薬を使うことに、
ユンホは畏れに近いものを感じていた。


《たしかにあの薬は、父上にはとてもよく効いた。
でも…いまでも私はあの薬を心から信用できていない。
なぜ、私の手元にあるのかもわからない得体の知れない薬だ。
そして、どうしてそう思うのかわからないけれど…
あの薬は父上の病だけにしか効かない気がする。
他の誰かに使うことが怖い…》


トウヤは王子の命を助けるため、
あの赤い薬を使うことを望んでいる。
危険があるとしても…
王子の命を助けられるなら本望だと。


「責任はすべて俺がとる」


そう言い放ったトウヤの覚悟がユンホを追い詰めていた。


「とにかく…東宮様を診察してみなくては」


王子を助ける方法が他にないかと一縷の望みをかけ、
ユンホは東の宮へやってきた。


「医務庁から参りました。医務官のユンホです」


「ユンホ殿、お待ちしておりました。さあ、こちらへ」


年老いた侍従がユンホを案内した。
偕王や王子の家族が住む宮殿や、華やかな西の宮と違い、
王子が静養する東の宮はしんと静まり返っていた。
療養のためにはこれでいいのだろうが、
火が消えたように静かで寂しかった。
すれ違う女官や侍従たちはすべて高齢で、
活気がないことも気になった。


「東宮様、医官のユンホ殿がおいでになりました」


「うん。入って」


聞こえてきたのは少女のような細い声だ。


「東宮様、医務庁から参りましたユンホでございます…」


「トウヤから聞いているよ。もっと近くにきて」


「はっ…」


顔を上げたユンホの目に、
寝台に横になった青白い肌をした大きな瞳の男の子が映った。


《この方は…》


「待っていたよ。ユンホ。これからしばらくよろしくね」


そう言ってにっこり微笑んだ王子の顔は…
透き通って見えるほど白く、儚く見えた。
このまだ幼い子の命の灯が悲しくなるほど弱々しく感じられて、
ユンホはそれを悟ってしまう医者という自分の立場を呪った。


「そんなに緊張しないで。
僕は堅苦しいのは嫌なんだ。僕の前ではかしこまらないでいいよ。
『東宮』なんて呼び方もやめてね。クンでいいよ。
ねえ、ユンホ。もっとよく顔を見せて…」


労わりに満ちたクンの表情に、
ユンホは不覚にも涙が溢れそうになった。
涙をこらえ、ユンホは精いっぱい笑顔を見せた。


「こうですか?クン王子様」


ユンホはクンによく見えるよう、
寝台に乗り出してぐっと顔を寄せた。
クンはユンホの顔にそっと両手を伸ばし、
眉から瞳、鼻筋やら頬、唇を通って顎を撫でた。
何かを確かめるように、入念に…


「うん…そうか…やはりそうなのだね。
トウヤに聞いていた通り、ユンホは頭が良くて性格もいい。
子どもだからって僕を馬鹿にしたりしない。
宮殿の大人たちは、心の中では病弱な僕を役立たずと思っている者もいるから」


「そんな!けっしてそのような…」


「僕はね…人の心が読めたりするんだよ。ユンホ、当ててみようか?」


悪戯っぽく笑うクンの光を集めた瞳に…
ユンホは思わず目を瞠った。