*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

《恋敵》



チャンミンは衣の上からぐっと胸を押さえた。
動悸が激しくなり、矢に貫かれたように心臓が痛い。
うまく息が出来ず、眩暈を覚えた。


《しっかりしろ、チャンミン!》


こんなにも早く「恋敵」である王女と会うことになろうとは…
予想だにしていなかったチャンミンは、
心の準備が出来ていない。
目の前に王女が現れたら…
自分は何をしてしまうかわからない。


《チャンミン、おまえはいま…人間の女に化身しているのだ。
そのことを忘れるな!冷静になれ!》


自分に言い聞かせたのは…
すべては愛しいユンホに会うためだ。
ユンホとの愛の行く末を確かめねば、
死んでも死にきれない──
いまはそう思うチャンミンだった。


「シュリ王女様、お成り」


チャンミンは周りにいる女官たちに習い、
深く首を垂れた。
愛らしい鈴の音のような…
そんな軽やかな足取りで、王女が部屋に入る気配を感じた。


「皆の者、ご苦労様。
畏まることはありません。顔をお上げなさい」


王女のひと言で、女官たちはそっと顔を上げた。
だが、みな伏し目がちで王女をまじまじと見る者はいない。
下々の身分の者が、王族と目を合わせるなど無礼だからだ。


《ちっ…俯いていては王女の顔が見えないではないか》


愛しいユンホを奪った王女を、
この目でしっかりと見てやろうと思ったのに…


「王女様、花嫁衣装を数着ご用意いたしました。
どれを選ばれても、珠玉のお衣装でございます。
王女様のお好みのお衣装をお選びいただけましたら、
それをお式までに完成させる運びとなっております。
ごゆっくりお選びくださいませ」


女官長に案内され、王女はしずしずと衣装を見て回った。
チャンミンの前を通り過ぎた王女の甘い残り香に、
チャンミンは複雑な気持ちになった。


《これは伽羅か麝香か…
女人の持つ柔らかな匂いと甘い香が混ざり合って…
これが男を惹きつける女人の魅力なのか?》


生まれ持った高貴さと女人特有の嫋やかさ…
ユンホがこの王女を選んだ理由が少しわかった気がして、
チャンミンは忸怩たる思いがした。


「これなど素敵でございますよ。
紅白の梅の花があしらわれております」


「そうねえ…どれも素敵だわ」


王女はうっとりとした表情で衣装を眺めた。
そして、ふと視線を落とした時…


「あら…これも素敵!」


机の上に置いてあった、
チャンミンが刺しかけていたオシドリの布を手にした。


「王女様、それは…
花嫁衣装の下に身に着ける下着でございます」


「下着?こんなに手の込んだ素敵な刺繍なのに?
それではあまりに勿体ないわ。これを衣装に使いたい」


「ですが、王女様。
婚礼のお衣装には厳格なしきたりがあり…
ウォンサム(上着)は既婚女性にしか縫えないことになっております。
このオシドリの刺繍は、まだ年若い女官によるものですので…
どうか、他のお衣装をお選びください」


王女は憮然としていたが、
そう言われたならどうすることもできないと頷いた。


「そう…しきたりなら仕方ないわね。
でも、これは本当に見事な刺繍よ。
これを刺した若い女官は誰?」


俯いたチャンミンの心臓が早鐘を打つ。


「王女様、それは…ここにおります、チャンミンでございます」


自分の名が呼ばれた時、チャンミンの肩が微かに震えた。
真朱の湖に棲む龍族の王子であったなら、
愛しい男を奪った相手に容赦なく飛びかかっていただろう。
だが…女官になった「チャンミン」には、そんな力はどこにもなかった。
王女と対峙することさえ、怖さを感じる自分が不思議だった…


「チャンミン…そなたがこのオシドリを刺したの?」


「……はい」


「か細い声…そんなにわたくしが怖い?ふふ。
怖がらなくていいのよ。わたくしは感動しているの。
そなたの手の器用さに。真心のこもったこの刺繡に。
面を上げ、顔を見せなさい。目を見て礼が言いたいわ」


チャンミンがゆっくり顔を上げると…
溌溂とした生命力漲る黒い瞳と目が合った。
勝ち気な丸みを帯びた黒い瞳。
豊かな黒髪に透き通るような白い肌。
口角を上げ、理知的な笑みを浮かべている…


《これが…ユンホの婚姻の相手?》


妖艶さには程遠いが、王女として生まれ持った気品と美貌があった。
言葉を失うチャンミンに、王女は


「本当に若い女官だったのね。その若さでこの技量は素晴らしいわ。
下着でも構わないから、そなたの刺繍を身に着けたいわ。頼みましたよ」


「恐れ…入ります」


王女が機嫌よく部屋を後にすると、チャンミンはその場にへたり込んだ。