*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。
《何者》
ユンホとハヤンが廊下に出ると、
慌ただしく走っていく数人の衛兵が目に入った。
「いったい何事だろう?あ、もし…何があったのだ?」
ハヤンは一人の宦官に声をかけた。
「これは医官様。王女様のお住いの西の宮の女官が倒れていたのです」
「倒れていた?どこに?大事ないのか?」
「はい。いまは西の宮の医務室に運ばれております。
詳しいことはわかりませんが、おそらく貧血ではないかと…
一応、事件ではなかったかと衛兵たちが物々しく騒いでおりまして。
宮殿は平和でございますから、衛兵たちは暇を持て余しているのですよ」
「そう…それならよかった。
呼び止めてすまなかったね」
宦官は恭しくお辞儀をし、長い廊下の奥へと消えていった。
「ハヤン先輩、行かなくていいのでしょうか?」
ユンホが心配そうに訊ねると
「女官の診察は誰にでもできるものではない。
俺たちはトウヤ先生の指示なしでは、
女官を診察することはできないのだ。
特にユンホは…もうすぐ婿入りする立場ではないか。
たとえ患者であっても、王女様以外の女人の体に触れるのは…
夢でもあってはならないことだよ。
夢、でもね!ははははは」
ハヤンはユンホの夢の話を引き合いに出し、
悪戯な瞳でにやりと笑った。
「ハヤン先輩、揶揄わないでください!」
「はははは。まあ、冗談はこれくらいにして…
ああいう連中の嫉妬や陰口は気にするな。
ユンホにはトウヤ先生や俺が味方についている。
ユンホの人柄の良さを分かっている人間は大勢いるよ。
王女様と末永く…幸せになることを祈っているよ」
ユンホの肩をそっと撫でると、部屋を出ていきざまに
「王女様の婿になってしまえば…
もうこんな風に気軽に話すことはできなくなる。
会えてよかったよ」
「そんな…寂しいことを言わないで下さい!
私はいつだってハヤン先輩を慕っております」
「ありがとう…ユンホ…君は本当にいい漢だ」
西域の血を受け継いだ独特の美貌…
青い瞳を細め、ハヤンは儚げに微笑んだ──
長い闇を漂い…
億万の水の滴になったような感覚があった。
魂というものがあるのなら、
肉体を失った自分はまさに魂の欠片になっていた。
瞼の裏にかすかにあたたかい光を感じる。
《天界に召され…何者でもない私になったのか…》
すべてを手放した解放感に浸ろうとしたのも束の間、
耳元であの濁声が響いた。
「さあ、おまえは生まれ変わった」
その途端、固く閉じていた瞳が開いた。
目の前には…見たこともない花が咲き乱れていた。
それが天井に描かれた模様だと気が付くまで時間がかかった。
「チャンミン!気がついたのね!
誰か!医官を呼んできてちょうだい!
チャンミン、チャンミン!わかる?私よ!」
チャンミンの顔を覗き込む、涙ぐむ女人がいた。
「え…あ…」
「よかった!助かったのね!
もう…本当に…心配したんだから!!」
「ユジン、医官を呼んできたわ!」
体中に痛みを感じ、チャンミンは体を動かすことができない。
この「ユジン」と呼ばれる女人は、どうして自分の名を知っているのか?
訊ねたくても声がうまく出せない。
医官が脈をとり、もう心配はないと部屋を出て行った。
部屋にはユジンと数人の女人だけがいた。
「私は…どうして…ここに?」
途切れる声で訊ねると、
ユジンは不安そうにチャンミンの顔を見た。
「あんた…何を言ってるの?
井戸に落ちて頭でも打った?
ここは女官の控室じゃないの。
私たち、いつもここにいるでしょ?」
「女官…?」
「やだ、本当に頭を打ったんじゃ…
まさか記憶喪失?!ちょっと、しっかりしてよ!チャンミン!」
「チャンミン」と親しげに呼ばれても…
チャンミンは何のことだか、さっぱり訳がわからなかった。
「チャンミン、あんたはこの西の宮の女官でしょ?
あたしはあんたのオンニ、あんたを妹のように可愛がってるユジンよ!
そんな不思議そうな顔して…やっぱり頭を打ったんだわ。
明日でもちゃんとした医官に診てもらいましょ。今日はゆっくり休みなさい!」
ユジンがいなくなったあと、
チャンミンはそっと自分の胸に触れてみた。
微かな胸のふくらみに…チャンミンは激しく動揺した。