*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。
11.
これほどないというほど大きく見開いたチャンミンの瞳に…
艶めかしい道慶の、人形のような美しい顔が映っている。
「ど、道慶…様?」
驚いて次の言葉が出てこなかった。
道慶はまだ若いが…修行を積み、徳を備えている。
俗世の欲望を絶ち、御仏に帰依する立派な僧侶である。
それなのに…
自分にそんな世俗にまみれた問いかけをするとは?
チャンミンは激しく動揺し、混乱した。
「ははっ、はっはっは」
真顔だった道慶の顔が急に綻んだ。
「道慶様?!いったい…」
「はははっ。すまない。
チャンミンがあまりにも真剣な顔でいるから…
ちょっと揶揄いたくなったのだよ。
私としたことが…チャンミンを困らせてしまった。
許しておくれ…」
「はあ…冗談だったのですね?あははっ。
急にそんなことを仰るから…びっくりしてしまいました。
そうですよね。立派なお坊様の道慶様がそんな…」
チャンミンは照れ臭くて、そそくさと手習いの道具を片付けた。
「でも…半分は本気で聞きたいと思ったのだ。
そうだな…人として…私のことをどう思う?」
「道慶様は立派な方です。尊敬しています」
「好ましいと思うか?私のことを…」
「えっ…は、はい…」
道慶の顔に笑みは無かった。
見たこともない道慶の無表情な顔に、
チャンミンはいたたまれなくなり、
逃げる様に寺をあとにした…
「おばあさん!ただいま」
「おや、チャンミン。手習いの帰りかい?」
「しっ!大きな声で言っちゃだめだよ!
おばさんたちが聞いているかもしれないから」
縁側に座り、渋柿を剥いているおばあさんにチャンミンは駆け寄った。
「どうしてだい?
チャンミンが手習いに行っているのはおばさんたちも知っているだろう?」
「ううん。お寺には奉仕に行くと言ってあるんだ。
手習いをしているなんて知れたら…」
「おかしいねぇ。ついこの前、おばさんが言っていたよ。
『チャンミンは道慶様に文字を習ってる』ってね。
なんでも、道慶様が直々に来られたそうだよ。
『奉仕ということにして、チャンミンに手習いを教えたい』
そう仰って、奉仕分の手間賃も置いて行かれたって。
チャンミンには学問の才があるとか…道慶様が言われたそうだよ」
「えっ…知らなかった…」
手習いの事は叔父夫婦には内緒でと言っていたはずなのに…
どうしてわざわざ、おばたちに言いに行ったりしたのだろう?
そして、無償のはずの奉仕の手間賃まで払うとは。
チャンミンは道慶の行動が理解できなかった。
「どうしたんだい?浮かない顔をして…
手習いは楽しいだろう?チャンミンは賢い子だから」
「あ、うん…手習いは楽しいよ。
そうだ、おばあさん!僕はもう、一通りは文字の読み書きができるんだ。
僕の名前は…こう…こんな風な文字で書くんだよ」
「へえ、すごいねぇ。頑張ったねぇ、チャンミン」
「いつまでも子ども扱いして。ふふ。僕はもう16歳だよ?
それでね…おばあさんが持っている『月鬼縁起図』を見せてほしいんだ」
チャンミンは、幼い頃におばあさんに見せてもらった…
美しい鬼が描かれた巻物、「月鬼縁起図」が忘れられなかった。
巻物の最後に書いてあった文字を、どうしても読みたかったのだ。
「ああ、あれかい。チャンミンはあの絵巻が好きなんだねぇ。
ちょっと待ってておくれ。どっこいしょ…」
おばあさんは掛け声をかけて立ち上がり、
仏壇の中に仕舞ってあった巻物を恭しく取り出した。
「あたしは文字の読み書きが出来ないから。
チャンミンが勉強してくれてうれしいよ。
この巻物は、うちがまだ豪農だった頃…
あたしのおじいさんの、そのまたおじいさんが、
月鬼伝説をもとに旅の画師に描かせたそうだよ。
いまじゃ、村の者たちもすっかり忘れてしまっているけれど…
チャンミンが興味を持ってくれて月鬼様も喜んでいるね」
そう言いながら、「月鬼縁起図」をチャンミンに手渡した。
チャンミンは胸の高鳴りを抑えながら、巻物を解いた。
「いつ見ても…月鬼様は綺麗だな…」
初めてこの巻物を目にしたのは10歳の時だった。
あれから6年の時が流れたが、
悲しい事やつらい事があった時、
チャンミンはこの月鬼の絵を見ては癒されてきた。
巻物の端に書かれた文字を読むことを夢見てきた。
いま、その願いがやっと叶うのだ。
思わず、文字をたどる指が喜びで震える──
「どれ、チャンミン…声に出して読んでみておくれ」
「うん…わかった。
昔、月のように輝く美しい鬼がいた。
愛しい女人を悪人によって殺され、
怒り狂った鬼は悪人たちを八つ裂きにした。
女人を悪人に差し出した村人をも殺そうとしたが、
赤ん坊の泣き声に慈悲の心を取り戻した。
鬼は子供を護る神であった。
鬼は愚かな村人を慈悲の心で許した。
村人は女人を丁重に弔い、鬼を守り神とした。
村人は尊敬と畏れを以って『月鬼』と崇めた。
そして親しみをこめ、『月鬼』をユンホと名付けた…」
りん──
「ユンホ…様…」
その名を口にした時、懐かしい声が聞こえたような気がした。
「チャンミン…」
低く甘く…やさしく響くその声は…
白い靄の中に佇む、懐かしい誰かだ。
会いたい…そう思うだけで、自然と頬を涙が伝う…
「どうしたんだい、チャンミン?
泣いたりして…体の具合でも悪いのかい?」
おばあさんがチャンミンの顔を覗き込んだ。
「ううん…ちがうよ…
思い出したんだ…大好きだったひとのことを…
若様…どうして…いままで思い出さなかったんだろう。
ああ…会いたいです。若様…」
「月鬼 ユンホ」
咽るような花の匂いに包まれ…
チャンミンは愛おしいひとの名を呼んだ。
いつも心に妄想を♡
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