*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

23.




僕はふらりと夜の街に出た。
居酒屋の中の熱気から解放され、
冷たい春の夜風が頬に心地好かった。


「ここで待ってろ」


ユノにはそう言われたけれど…
僕はヨヌに対する悲しみや怒りよりも、
自分自身の甘さと、浅はかさに腹が立っていた。
物事を斜めから見て、冷めた目をしているくせに。
協調性もなく、やたらと人を毛嫌いして…
そのくせ、やさしくされると簡単に絆されて。


「バカみたい…」


僕は自分の事が好きじゃない。
今夜はほとほと自分に愛想が尽きた。
顔にぽつりと雨粒が落ちた。


「あ…」


気が付けば駅の改札口に立っていた。
スマホを翳し、僕は滑り込んできた電車に飛び乗った──


鞄も上着も…そして、ユノも。
全部、居酒屋に置き去りにした。
ユノは今頃、僕を探しているだろう。
電車の窓ガラス、小さな雨粒がだんだん大きくなっていく。


「ごめん…」


僕は流れていく街の灯りに呟いた。
ユノは…おそらく、ヨヌたちの話を先に聞いていたのだ。
それを僕に聞かせまいとしていたのだ。
体を張って、僕を引き留めてくれたのに…
僕はすっかりヨヌを信じて、親友気取りだった。
入社当時のヨヌのコンプレックスを知っていたところで、
それがいったいどうだというのだ。
あれからもう5年も経っているのに。
ヨヌはすっかり都会の男になり、
エリートの階段を着実に上っているというのに。
僕だけがいつまでも成長できないまま、
勝手にヨヌの「保護者」のような顔をして…


「ふっ…ふふふ」


僕は失笑した。
そして、静かに涙が頬を伝った。
いままでヨヌと交わしてきた言葉も、
投げかけられた笑顔も…もう思い出せなかった…


「ユノに悪い事しちゃったな」


ユノに何も告げず、勝手に店を出た。
連絡を取ろうにも、僕はユノの番号を知らない。
頑なに教えなかったのは僕だ。
そんな僕に、ユノは寂しそうな顔をしていた。
初めはユノを警戒していたけれど、
同じ部署で一緒に仕事をして、ユノの人柄を知っていくうちに…
僕が持っていたイメージと違うのだと気がついた。
ジェノにフラれたあの時…
ユノに見られたことを、ゲイだと知られたことを…
ひたすらじくじくと拘っていたことが馬鹿らしく思え始めていた。
ユノが、僕があの日の出来事をいつまでも、
こんな風に10年も引きずっていることを知ったら…


「呆れるよね…きっと」


もしかしたら、ユノはヨヌのこともちゃんとお見通しで、
ヨヌに好意を持っていた僕を、さりげなく牽制していたのかもしれない。
自分の殻に閉じこもり、
社会に溶け込もうとしない僕とは違い、
ユノはいつもオープンマインドで、自分を鍛えてきた。
僕のような、この国を出たことのないヤツと比べたら…
海外で暮らし、大学を出て就職したユノは、
僕の何倍も苦労を経験し、本物の大人になったのだろう。
自分の弱さを見せないよう、努力を重ねてきたのだ。


「あれ…僕…さっきからユノのことばかり…」


気がつけば、僕はユノのことばかり考えていた。
駅到着のアナウンスが流れ、僕は慌てて電車を降りた。
雨は少し強くなっていた。
駅のコンビニでビニール傘を買い、
すっかり葉桜になってしまった並木道をマンションへと歩いた──



思えば、僕はユノにひどい態度を取っていた。
「過去のトラウマ」
そんなことが言い訳にならないことは、
大人として成熟したユノの姿を見て気づいたことだ。


「あの時…連絡先を交換しようって言われた時…
もっと素直になっていればよかった」


あとから後悔しても遅い。
一度断ったものを、また自分から覆すなんて…
捻じれた性格の僕に出来るはずがなかった。


「ユノ…もう帰ってるかな。
ユノのマンションに行ってみようかな」


そんなことをぼんやりと考えながら、
自分のマンションの前を通り過ぎようとした時…


「シム!」


マンションの前の軒先から、ユノの声がした。


「ユノ!どうして…」


「ああ、よかった。濡れてないな?
雨、降ってきたからさ…傘持ってないんじゃないかって…」


ユノの黒い瞳が僕を包み込むように微笑んだ。
低く甘い声が僕を引き寄せて…


「ユノ!」


僕はビニール傘を捨て、ユノの胸に飛び込んだ。


「シ、シム?!」


「ごめん…ごめんね…ごめん…ホントに…ごめん」


ヨヌの不実な言葉を聞いても泣かなかった僕は…
ユノの顔を見た途端、堪えきれずに溢れる涙を止められなかった。


「ちょっ…大丈夫か?」


僕は何も言えなかった。
胸がいっぱいで、ただ頷くことしかできなかった。
子供のように泣きじゃくる僕の髪を大きな手が包む。


「バカだなぁ…泣かなくていいよ」


僕がほしかったのは、この温もりなのだと…
ユノの腕の中で僕ははっきりと自覚した。




「どうぞ…」


「ああ、ありがと…ハックション!」


「ユノ、大丈夫?!」


「ああ、平気だよ」


ユノはタオルで濡れた髪を拭きながら、
僕が淹れた熱いお茶を啜った。


「へえ…これがシムの部屋か。さすが、綺麗にしてるな。
熱帯魚?可愛いな。シムらしい…」


「この子たちを見てると心が安らぐんだ」


「うん…アクアリウム…っていうの?」


「そんなすごいものじゃないけど。小さな水槽だし」


ユノは僕の帰りを待っていてくれていた。
居酒屋から姿を消した僕を追いかけ、
タクシーでマンションに先回りしてくれていた。


「うん、このお茶うまい!」


解けたユノの笑顔に、僕は胸が熱くなるのを感じていた。
 

 

 

 

 

 

 

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