*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.




「どうして…僕だって…」


「あはは。だって、全然変わってないじゃん。
高校卒業してから10年ほど経つけど…
そのメガネですぐわかったよ。
高校の頃、メガネ男子っていえばシムだったからな」


「そんなっ…揶揄うなよっ!」


僕はおもむろに嫌な顔をした。
ユノはそんなのどこ吹く風で、僕の事をじっと見つめた。
気まずさから、僕は早口でまくし立てた。


「な、なにっ?僕に何か用?
き、君は採用担当で、僕はただの事務方だ。
僕の仕事は書類の整理をすることで、
採用部門の君は人事の花形だろ?
君が僕に用があるなんて思えないけど?」


「用事?ああ…用事なんて、特にないけど?」


悪びれる風もなく、ユノはさらっと言い返した。
僕は背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
用もないくせに…どうして…
僕は、自分の直感を信じるほうだ。
それも、いい予感より悪い予感のほうが当たるのだ。
僕が願っていたことはすべて叶えられずに…
願ってもいない方向へ物事が進む。
そんなの、僕の人生ではしょっちゅうだ。
僕のデスクの椅子に座り、ユノはきょろきょろと辺りを見回した。


「昨日も言ったけど…
俺はこっちに帰って来るの、本当に久しぶりなんだ。
世界各国の支社で雇用を増やすため、
俺は語学力を買われて本社に来た。
もう、帰って来る気はなかったのにな…」


そう言ったユノの瞳が揺れた。
いや、今の僕は…ユノの気持ちまで考えている余裕はない。
とにかく…関わりたくないと思っていたユノに、
有無を言わせない状況でいきなり関わることになったのだから。


「やっぱり帰って来るとさ。
懐かしいんだ。何もかもが…
シムがまさかこの会社に就職してて、同じ部にいるとは思わなかったけど。
そうだ。T高3クラの皆で集まったりしてないの?」


僕は心臓が止まるかと思った。
T高校、3年3組…
僕が消し去ってしまいたい記憶が、そこにある…


「し、知らない…僕は…関係ない」


「ふぅん…そうなんだ。
楽しかったよな。最後の文化祭でさぁ…」


「ちょっと!そんな話…職場でする話じゃないよ!
用事が無いんなら、そこをどいてよ!
僕が早く来てるのは、業務時間内に仕事を終えるためなんだ!
邪魔するんなら…」


ユノはまた瞳を揺らした。
そして、すぐに悪戯な笑みを浮かべ、肩を竦めた。


「おはようございまーす」


女子社員たちが出社してきた。
皆、ユノの姿に目を留め、瞳の輝きを隠せない。
僕が咳ばらいをすると、ユノは椅子を僕に譲った。


「チョンさん、早いですね!
コーヒー淹れますね。お砂糖とミルクは?」


「あ、ああ…ブラックでお願い」


僕には見せたことのないような弾けた笑顔の女子…
ユノは赴任早々、部内の女子の心を掴んでいた。


「シム、また…ゆっくりな」


ユノに耳元で囁かれ、僕は「ひっ!」と声が出た。
僕を揶揄ってそんなに楽しいか?
高3の記憶がまた脳裏に甦る…
睨みつけてやりたかったけれど、
気が付いた時には、もうユノは僕に背を向けていた。
アイロンの効いた白いワイシャツ、
スリーピースのベスト、広い背中…
ベストのカーブがくびれたウエストのラインを拾い、
ユノのスタイルの良さを引き立てていた。
恨めしそうにユノの背中を見送りながら、
僕は異動願を出そうと固く心に誓った。


それから…
僕はユノに怯える、心の休まらない日々を送る羽目になった。
ユノは僕のデスクの脇を通るとき、必ず


「おはよう!」


と、声を掛ける。
ユノは部内の誰にでも明るく挨拶するのだけれど、
僕はそのたびに寿命が縮む思いがするのだ。


「先輩、チョンさんともう仲良くなったんですか?」


後輩のレイが目ざとく訊いてきた。


「えっ…ううん。仲良くなんて…ないよ」


「そうですか?なんだか親しげな感じがしますけど」


「ど、どこが?!
チョン…君…チョン君はこのフロアにいる皆に挨拶してるじゃないか!
べつに僕にだけしてるわけじゃないし。
挨拶だけだよ。普段は口も利かないし…」


必死に弁明する僕を、きっとレイは不審に思ったに違いない。


「そうなんですかぁ?
先輩に声をかけるチョンさん…すごく楽しそうに見えたから。
同期だし、もう打ち解けたのかなぁ~って。
でも、チョンさんって本当に社交的っていうか…
営業部だったら、きっとエースになれますよ。
ほら、このフロアの女子。皆、もうチョンさんにメロメロですよ」


「メロメロ…」


午後からの始業前、窓辺に座るユノを囲む女子の輪が出来ている。
それもそうかもしれない。
人事部にいる男性社員のほとんどが既婚者で、
独身の社員と言えば僕とユノと…数人だ。
容姿もキャリアも申し分ない、そして独身でアメリカ帰りとくれば…
女子が色めき立つのも無理はないと思う。


「わあ…じゃあ、チョンさんは大学からアメリカへ?」


「うん。親が仕事で向こうにいたから。
高校卒業と同時にアメリカへ渡ったんだ。
俺はこっちの大学に通いたかったんだけど…
卒業したら一緒に暮らす約束だったしね」


取り巻く女子たちから感嘆の声が漏れる。


「チョンさん、素敵だから…向こうでもモテたんじゃないですか?」


ずばり聞いてしまうところに、
彼女たちの自信と焦りが窺える…
職場の「優良物件」は早い者勝ちだ。
百戦錬磨、彼女たちの男を見る目は厳しく、とても鋭い。


「ああ、恋人がいるかどうかって…それが聞きたいの?」


ユノは長い脚を組み、ちらりと僕のいる事務方のセクションを見た。
レイは興味深そうに目を輝かせ、
僕はパソコンの画面で顔を隠した。


「そうだなぁ…」


勿体ぶってる。
僕は、ユノと同じクラスになったのは高3の時だけだ。
それも、お世辞にも親しいとは言えない距離感だった。
僕はレイの言う通り、ネクラでオタク気質の「陰キャ」で、
ユノは学年一の人気者だったのだから…
交わるはずのないラインの上に、僕とユノはいたのだ。
あんな風に、男女問わずいつも大勢の人に囲まれていた。
それが、チョン・ユンホという男だった。
人の心の駆け引きには、昔から長けていた…


「いないよ。こう見えても…
いままで誰ともつき合ったことないから」


ユノの言葉に、辺りはしんと静まり返った。

 

 

 

 

 

 

 

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