*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

28.




「坊ちゃま、いかがでしたか?」


大通りに停めた車で待っていたジョハンが、期待に満ちた瞳で訊いた。
ユノは運転席に座り、ふうっと息を吐いた。
そして、ジョハンを見つめると、黙って首を横に振った。


「…ダメだった。やっぱりドンヘさんも知らないって…」


ユノは、ドンヘにチャンミンの行方を尋ねた。
ドンヘは悲しそうに目を伏せ


「それが…俺も知らないんだ。
ユノが実のお父さんに引き取られてから、しばらくは…
チャンミンも落ち込んだ様子だった。
何度か、ユノからの手紙を見せてくれて…
だけど…二か月ほど経ったある日…チャンミンは姿を消したんだ。
俺にも誰にも言わず、部屋を引き払っていなくなった」


「まさかとは思いますが…ドリーヒルズに棲む貴族の…
元伯爵様の屋敷に行ったのではないですか?」


フィリップの元で暮らすと言っていたチャンミン。
大人になって考えると、それが真実だったのか疑わしいのだが…


「いや、それはないと思う。
ユノが行ったあと、チャンミンは泣いてばかりいたが…
それじゃあユノに恥ずかしいって。
新しい仕事を見つけると言っていたよ。
誰かに頼らず、自分の力で生きていきたいんだって。
そんなチャンミンがパトロンなんて、当てにするか?」


「チャンミンが…ドンヘさんにそんなことを…」


ユノは、チャンミンがフィリップの元へ行ったのではないと確信した。
では、どこへ…?
身寄りのないチャンミンが頼りにする場所があるだろうか?



「まさか…チャンミン…この世にいないなんてこと…」


「いえ、坊ちゃま!チャンミンさんはきっとどこかで生きています!
あの方はそんなに弱い方ではありませんよ。
強く、やさしく、美しい…
坊ちゃまを愛し、きっといまでも…坊ちゃまのことを案じておられます。
諦めないで探しましょう!私も微力ながらお手伝いいたしますから」


ジョハンの言葉に勇気づけられ、ユノはチャンミンを探し続けた。
聖テレサの家にも行ったが、チャンミンの消息はわからない。
毎日のようにチャンミンの足跡を追い、面影を求めた。
だが、限られた時の中で…
刻一刻と期限は迫ってくる…
探偵を雇えばいいのだろうが、
ユノは自分の手で、自分の足でチャンミンの行方を追いたかった。
チャンミンの居所はつかめなかったが、足跡をたどる過程で、
ユノは自分の知らなかったチャンミンの姿を知った…


「フィリップと暮らしたい」


それは、ユノを父ユンジンの元へ返す口実だと確信を深めた。
12年前、部屋を訪ねてきた時以来…フィリップには会っていない。
だが、フィリップも海運業を営む経営者で、
この国の経済界でその名を知らぬ者はいない。
将来はカンパニーを継ぐユノも、大人になってその事を知ったのだが…
いま、フィリップは海外で暮らしていて、
その傍らにチャンミンの影は見当たらない…
言い切れないが、ユノにはそんな気がした。


「じゃあ、どこに行ったんだよ…チャンミン…」


当然のことながら勤めていたクリーニング工場も、
ホテルの清掃の仕事も辞めてしまっている。
職場に親しい人もなく、友達もいない。
別離から十数年、チャンミンの消息を知る人は誰もいなかった…


「あと一週間…」


父との約束の期日が迫っていた。
会社に入れば、もうこんな悠長なことはしていられない。
そのうち、どこかの良家の令嬢と見合いの話も持ち上がりかねない。
それまでにチャンミンを見つけたいと、ユノは焦り始めていた。


「あれ…ここは…どこだ?」


ぼんやりと運転しているうちに、ユノは見知らぬ地区に迷い込んだ。
赤や青のカラフルな屋根、白やレモンイエローの壁…
まるで童話の挿絵のように可愛らしい家々が並ぶ。
石畳の道、整えられたプラタナスの街路樹が美しい。
行き交う人々はどこかおしゃれで、のんびりとした時間が流れている。
ゆっくりと車を走らせると、噴水のあるロータリーに出た。


「こんな場所があるなんて…ここも開発された新興住宅地かな…」


ユノは車を停め、この新しい街を散策してみたくなった。
この一週間、寝食を忘れてチャンミンを探しまわった。
人海戦術をとれば、もしかしたら簡単なことなのかもしれない。
だが…このことだけは人任せにしたくない。


「こういう時、神様っていないものかと思ってしまうよ」


信仰心の厚い母親に育てられ、ユノはいまでも食事の前の祈りを欠かさない。
それはチャンミンと一緒に暮らしていた時もそうだった。
そして、チャンミンもユノと同じように静かに祈りを捧げていた。
あの頃の食卓の光景、揺れる燭台、ぼんやりと照らされたチャンミンの笑顔…
すべてが、ユノにとって宝物のような思い出だった。
そんな事を思い出しながら、石畳の道を歩いた。
メインストリートにはカラフルな建物の店が並び、
家族連れやカップル、裕福そうなマダムや令嬢たちがショッピングを楽しんでいる。


「へえ…宝石店に高級婦人服の店、美味しそうなお菓子の店に、カフェもある。
あっちにあるのは雑貨の店かな?ん…?あの店は…」


通りに並ぶどこの店よりも少し小さい、
看板のない地味な佇まいの店が一軒…
カラフルな店構えよりもユノの目を引いた。
引き寄せられるように店の前に立ったユノは、声を上げた。


「わあ…」


店の看板は出ていないが、
小さなショーウィンドーに誂えのスーツが飾ってあった。
高級なウールの生地で仕立ててあるスーツは、
見るからに腕のいい職人の仕事だと分かる。


「ここは…テーラーなんだな。
そういえば…ロマンさんっていう洋服店のお爺さんがいたな。
俺はお爺さんの作った洋服を着て…
得意な顔で入学式に行ったっけ。
チャンミンもすごく素敵なスーツを着てた。
桜の舞う学校への道を…二人で手を繋いで歩いた…」


気がつけば、涙が頬を伝っていた。
ショーウィンドーに映る自分の泣き顔に、ユノは思わず苦笑した。


「俺は…何を泣いてるんだ。
泣いてる暇があったら…チャンミンを探せ、ユノ!」


店の前から離れようとした時、誰かがユノの上着を引っ張った。


「えっ?えっと…俺になにか…用?」


振り返ると、小さな男の子が立っていた。
唇をぐっと結び、黒い瞳でユノを見つめていた。


「あの…っ、ちょっと!」


男の子は小さな手でユノの体を押し、
無言で店の中へと入れようとする。


「え、あ、ちょっと…俺はこの店に用があるわけじゃ…」


半ば強引に、男の子はユノを店の中に押し込めた。
そして、慣れた様子で木製の丸椅子を持ってきた。


「ここに座れって?」


男の子は黙って頷く。
ユノはこの男の子をどこかで見たような気がしていた。
そうは言っても、こんな小さな子が身近にいるわけでもなく…
なんとなく不思議な気持ちになって、ユノはじっと男の子を見つめた。
男の子はにこにこしながら見つめ返す。


「君、どこかで…あっ、君…君はいったい…」


何かに気づいたユノが椅子から立ち上がると、
男の子は店の奥へと駆けこんでしまった。


「ちょっと!どこへ行くんだよ!?」


呼び止めるユノの声など無視して、
男の子の姿は暗い店の奥へと消えていった。


「どうなってるんだ…こんなことって…
俺はいま…夢でも見ているのか?
それとも、チャンミンを探すことにのめり込み過ぎて…
現実と妄想の境目がわからなくなってしまったのか?」


寝不足が続いているのは確かだ。
ろくに眠らず、食事もそこそこにして…
チャンミンを探すことに没頭していた。
疲れた頭をぶんぶんと振って、ユノはあらためて店の中を見回した。


「そうだ…俺の母さんは…テーラーのお針子だったんだ。
ロマンさんの店での思い出は、微かな記憶しかないけど…
母さんと一緒に通ったテーラーも、ロマンさんの店も、
そして…この名もないテーラーも、同じ匂いがする。
新しい洋服の生地の匂い。懐かしいな…」


ユノの記憶は、「匂い」の記憶だ。
そして、また…
あらためてチャンミンの匂いが記憶の引き出しから甦る。
金色の美しく長い髪から漂う甘い香り…
その髪に埋もれ、眠った少年の日。
ユノの人生において最高に幸せな時間だった。
この12年、父の愛情を十分に受けて育った。
何不自由なく、努力すればしただけ成果を得られた。
貧しい暮らしの中、忸怩たる思いで日々を送っていたチャンミン。
どんなに努力しても報われない、底辺に暮す人々…
だからチャンミンは、自分に父の元へ行けと言ったのだ。
ユノに、光の射す場所へ行けと言ったのだ…
チャンミンを恨んだこともないわけではない。
フィリップに対する嫉妬で眠れない夜もあった。
だが、いまならわかる…
チャンミンがどれだけ自分を愛していてくれたのか…


「いらっしゃいませ。
お客様が来られているとは気が付きませんでした。
あの、ご予約の方でしょうか?お名前は…」


この店の主だろうか。
店の奥から声がし、慌ただしい足音が近づいてきた。


「いえ、お客じゃないんです。
この店のお子さんですか?小さな男の子に入れと言われて…」


顔を上げたユノは…思わず我が目を疑った。
 

 

 

 

 

 

 

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