*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

26.




「ユンホ様、お寒くありませんか?」


「えっ…ああ…」


運転手がルームミラー越しに聞いた。
車の窓を開け放ったまま、
ユノは流れていく風景を見ながら物思いに耽っていた。
頬に触れる早春の風はまだ冷たい。
ユノはゆっくりと窓を閉めた。


「旦那様、首を長くしてお待ちですよ。
ご自身で迎えに行きたいと仰っていたのですが…
大事な会議があり、どうしても出席しなくてはならないとか」


「ははっ。父さんも過保護だなぁ。
私はもう22歳を過ぎた大人だよ?
本当なら空港から列車で帰るつもりだった。
この国の空気を存分に吸いたかったからね」


「何を仰います!
ユンホ様はカンパニーの次期社長ではありませんか!
そのような方が長い空旅のあと、列車に乗られるなんて…
そんな滅相もない事、仰らないでください」


運転手は焦った様子で、ミラー越しにユノを見た。
にこやかに微笑みながら、ユノはまた車窓から外の景色に目を遣った。
見慣れない街の景色から、徐々に懐かしい風景へと…
ユノの心は長い旅を終えた充実感に満たされていた──
濡れ羽色の美しい黒髪、流麗な鼻筋、ティアドロップの瞳…
長い睫毛が影を作る横顔は、どこか愁いを秘めている。


「ジョハンの体の調子は?」


「はい、最近は調子がいいようで…週に数日は出社しておられるようです。
旦那様もそれは気にかけておられて。
病院の送り迎えなどは、私に行くようにと仰るほどです」


「そうか…」


白い雲が流れていく。
眩しいほどの春の日差しをユノは手を翳して仰ぎ見た…



「ユンホ!」


屋敷の敷地に入り、玄関に車が横付けされると、
待ちきれない様子でユンジンが玄関のドアから飛び出してきた。


「父さん…ただいま帰りました。長い間…」


「堅苦しい挨拶はなしだ!おかえり、ユンホ!
さあ、中へ入りなさい。ジョハンも待ちかねているよ」


「ジョハンが?」


ユノは4年ぶりに「我が家」に帰ってきた。
中等学校から全寮制のスクールで過ごしてきたユノ…
大学の4年間は海外で過ごした。
そして、「長い旅」を経て…いま、ようやくここに戻ってきた。
父であるユンジンは満面の笑みでユノを迎えた。


「ユノ、久しぶりだな。元気にしていたか?
卒業式には出席したかったんだが…
色々と忙しくて、ここを留守には出来なかった。
4年間、よく頑張ったね。あらためて…おかえり、ユンホ…」


ユンジンの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
父の書斎に入るのは何年ぶりだろう。
重厚な家具の落ち着いた雰囲気と、
天井まである書棚に納められた本の匂いが懐かしい…


「いやだなぁ、父さん。
一年前、私が経営学の論文で学長賞を取った時…
わざわざ飛んできてくれたじゃないですか。
もう何年も会ってないように言うのはやめてください。はははは…」


「そうだったかな?あれは一年前だったか?
私だって、おまえを側に置いておきたかったのだよ。
だが、おまえが進んで海外の大学の留学したいと言ってくれて…
中等・高等の学校も全寮制で…
私はおまえと離れて暮らすのは…とても寂しかったよ」


「将来、貿易を仕事にするわけですから…
この国に留まらず、海外に視野を広げたかったのです。
おかげで異国の友達も出来たし、語学の習得も。
私は4年間、国外に出てよかったと思っています」


「そうか…そう言ってくれると…」


ユノは10歳の時、実の父のユンジンに引き取られた。
最初から覚悟を決めていたユノは、反抗することもなく環境に馴染んだ。
チャンミンと暮らしていた街から遠く離れ…
初等学校を卒業したあとは、またさらに遠く離れた全寮制の学校を選んだ。
それはすべて、ユノの意思だった。
「ユノ」から「チョン・ユンホ」になったが…
ユノには心に秘めた強い想いがあった。
父のユンジンとはそれほど多くの時間を共有していない。
だが、ユンジンはとてもユノを可愛がり、
ユノはそんな父のやさしさを全身で受け止めた。
自分がなんの抵抗もなく、穏やかな気持ちで父と向き合えたのは…
すべてチャンミンのおかげだと、いまになってユノは思うのだった。


「帰ってきて早速だが…春に我が社に入社する準備もしなくてはいけないな。
カンパニーの跡取りとして、お披露目もしなくては。
この春は忙しくなる。うれしい限りだ」


「父さん…それで…私からお願いがあります」


ユノのあらたまった態度に、ユンジンの笑顔が消えた。


「私が、父さんの元に戻って12年になりました。
及ばずながら、私は父さんの望むように生きてきました。
父さんは私にたくさんの愛を注いでくれた。
本当に感謝しています。
私のいまがあるのは、父さんのおかげです。
思う存分勉強し、サッカーに熱中し、青春を謳歌しました。
それはすべて父さんが与えてくれた愛情でした。
この春、私はカンパニーに入社し、いずれは後を継ぎます。
父さんを失望させるようなことはしません」


「ユンホ…?」


「入社までの二週間…時間をもらえませんか?
私に自由な時間をいただきたいんです」


「その時間を…何に使うと言うのだ?」


「チャンミンを…探します」


ユンジンの瞳は驚愕の色に満ちた。
顔色は青ざめ、目を伏せ大きく息を吐いた。
膝の上で組んだ手は、微かに震えていた。


「チャンミン…さん…を?」


「はい。チャンミンを探します。
大学を卒業し、父さんの後継ぎとして力をつけたら…
チャンミンを探そうと決めていました。
一年程前から、その準備をしていました。
父さん。私は今まで父さんの希望通りに生きてきました。
決して嫌々従ってきたわけではありません。
私も父さんの言う通りにすることが一番だと思っていたからです。
いままでも、これからも…
父さんの考えに異存はありませんし、従うつもりでいます。
だから…私のささやかな願いを聞いてはもらえませんか?」


「探して…どうするのだ?」


「それは…わかりません。
チャンミン次第だと思っています。
いま、どこにいるのかわからないですし…
何をしているのかもわからない。
もしかしたら、愛する誰かと一緒に暮らしているかもしれない。
私はチャンミンと別れる時、約束したんです。
その約束を果たすために、
10歳の自分自身との約束を守るためにも…
チャンミンに会いたいんです」


もう子供ではない。
行方が知れないチャンミンに何があったのか…
童話のような綺麗ごとの妄想では済まないこともわかっている。
この12年で自分も大人になった。
物事の善悪や分別もとっくにつくようになっていた。
それでも…ただ純粋に


「チャンミンに会いたい」


どんな状況でも、たとえ不毛な再会に終わっても…
ユノはただただチャンミンに会いたかった。


「わかった。私もユノの真心に応えよう。
ユノは私の宝だ。愛しているよ…」


ユンジンの瞳は悲しみをたたえ、微笑んでいた。
いつか、こんな日が来ることを恐れてもいた。
だが、真っすぐに向かってくるユノの若さと情熱には勝てなかった。


「坊ちゃま!ユンホ様!」


ユンジンの書斎を出ると、廊下でジョハンが待っていた。


「ジョハン!体のほうは大丈夫か?」


「はい、おかげさまで…」


ジョハンは少し痩せているように見えた。
数年前、ユノが海外留学に発ってすぐにジョハンに病が見つかった。
ユノにとって、ジョハンは「第二の父」のような存在だった。
チャンミンの元を離れ、この屋敷にやってきてからずっと…
ユンジンの仕事が多忙な時でも、
ジョハンはずっとユノのそばに寄り添ってくれた。
もともとジョハンは穏やかでやさしい性格だが、
ユンジンに対する忠義心も厚く、真面目で賢明だ。
チャンミンの元から引き離されたユノを不憫に思い、
何かと気にかけてくれていたことを、ユノは深く感謝している。
だが、ジョハンがそうする理由はもうひとつあった。
あの雪の日、ジョハンにそれを切に願ったのはチャンミンだった。
ユノがそれを知ったのは、つい最近届いたジョハンからの手紙だった。


「私は…ここまで何とか生きてこられたことを神様に感謝しています。
坊ちゃまが立派に成長された姿を見届けることが出来た…
もう私がいなくても、もう…大丈夫だと」


「そんなことを言うなよ。ジョハンは父さんと同じように、大切な存在だよ」


「もったいないお言葉です。それで、あの…社長には?」


「うん、許可をもらったよ。明日からさっそく、チャンミンを探す」


「お心当たりは?」


「とりあえず…行ってみたい場所がある」


ユノの眼差しは強い光を宿し、明日を見つめていた──

 

 

 

 

 

 

 

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