*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

16.




「これをご覧ください」


ジョハンは、嫌悪感を露にするチャンミンにも嫌な顔ひとつせず、
紳士に冷静に、穏やかに対応した。
チャンミンはそれをわかっていながらも、
ジョハンをユノを奪いにきた「敵」としか思えなかった。


「これは…ユンホ様が生まれ、1歳のお誕生日を迎えられた記念に…
親子3人で撮影された記念写真です」


テーブルの上、そっと差し出された一枚の写真。
モノクロのその写真には、
柔和な笑顔を浮かべた切れ長の瞳の紳士と、
はにかみながら赤ん坊を抱く若い母親が映っていた。
紳士の身なりは上品で、腕には高級時計が光っている。
母親は小花柄のピンクのワンピースに、肩までの黒い髪…
ひと目見て、それがユノの父と母であることがわかった。
ユノは父と母、両方のよいところをもらっているとわかる。


「ですが、こんな写真くらいで…信用できません」


悪あがきだとわかっていても…
簡単に引き下がれない。
ユノはチャンミンにとって、もはや「命」ともいえる存在なのだ。
それを容易く手放すなど、チャンミンにはとても耐えられない。


「チャンミンさん…
聖テレサの家のシスターに、
貴方がユンホ様をとても大切に育てて下さっていると聞きました。
お母様が亡くなったことを、ユンホ様はまだ知らされていないとか?
美しい貴方の姿に、ユンホ様が母親の面影を見ているのではと…
それゆえに、ユンホ様は貴方から離れがたいのでは?
そんな風にシスターは仰っていました。
貴方にお会いして、ユンホ様のお気持ちも理解できると思いました。
ユンホ様は貴方にとても懐いていると…
チャンミンさんもユンホ様と離れがたい想いは同じと推察いたします」


ジョハンは曇りのない瞳と、
チャンミンを傷つけまいとする丁寧な物言いで訊ねた。
まさに、図星だった…
ジョハンが悪人でないことは伝わってくる。
むしろ、紛れもない善人だ。それでも…


「この写真の赤ん坊が、ユノだと言いきれますか?」


「チャンミンさん…この赤ちゃんの顔をよく見て下さい。
貴方なら…ユンホ様を慈しんでおられるチャンミンさんなら、わかるはずです」


チャンミンはテーブルに置かれた写真を、
躊躇しながら手に取った。
少し年の離れた夫婦と、その愛息の写真…
父親は優雅で気品があり、大人の貫禄を感じさせる。
若い母親は躊躇いつつも、幸せの絶頂にいるように見える。
そして、二人の間にいる赤ん坊は…
天真爛漫な笑顔を浮かべ、この世の幸福をすべて独り占めにしているようだった。
その口元には…小さな小さなほくろが映っていた。
この赤ん坊がユノだということは、両親を見ればわかる。
二人の遺伝子を巧みに受け継いだ、美しい赤ん坊だった…


「何も…言うことはありません。
この赤ん坊がユノだという事は…わかっていました。
わかっていて…あえて抵抗しました」


「チャンミンさん…」


「それで…どうすると?」


チャンミンの強気な瞳がジョハンを射抜く。
こんなところまで、わざわざ一流会社の社長秘書が訪ねてきたのだ。
その要件がどれほど重大なことか、チャンミンも推測できた。
だが、それがどんなに重く深刻なことであろうと…
チャンミンはユノをこの手で守る事しか頭になかった。


「一年前、社長の奥様がお亡くなりになりました。
他の女性と子をもうけたことを、奥様はご存じなかった。
長い間、患っておられた奥様は生前…
ご自分が死んだら、若く子の産める女性を後添えにと…
社長に仰っておられたそうです。
ですが、社長に再婚の意思はなく…
ずっと心の奥で案じておられた、
ユンホ様とお母上をもう一度探すことにされたのです」


ユノと二人で生きていくことを決心した母親は、
ユンジンの元から遠く離れた街へと逃れた。
「ユノは私だけの子です」
シスターに頑なにそう言っていたことからもわかるように、
ユノの母はユンジンの家庭をどうこうしようなどと、
ましてや自分が妻の座につこうなどとは考えてもいなかっただろう。
愛し子と二人、ただ静かで穏やかに暮らしたかったに違いない。
だが…世界中の誰よりもユノを愛した母は…
もうこの世にはいない。


「あの若さで…ユンホ様のお母様が亡くなられていたとは…
それを報告すると、社長は酷く落ち込まれていました。
子供を育てた経験のない自分が、ユンホ様を引き取ってよいものかと、
きちんと育てていけるかと、とても悩まれておりました。
ですが、やはりこのまま父親としての責任を果たさないわけにはいかないと…
ユンホ様を引き取り、ぜひご自分の手で育てていきたいと」


「勝手なことを言わないで下さい!
いまさら…10年も放っておいて…
ユノがどれだけ寂しくて、つらかったか…
ユノはまだ母親がどこかで生きていると思っています!
ふだんは母親の話をほとんどしなくなったけれど、
その存在を心の支えにしているのかもしれません。
ユノにとって…母親だけが親なんです。
父親なんて、ユノの中には欠片も存在しないんです!」


「チャンミンさん…」


ジョハンには何の罪もない。
だが、ジョハンの言葉は、ユノの父であるユンジンの言葉でもある。
まだ見ぬユンジンの姿が目の前にちらついて、
チャンミンは思わず声を荒げた。


「わかっています。
これまでのユンホ様の10年を思えば…
チャンミンさんのお怒りはごもっともだと。
ですが…部下の私がいうのもなんですが…
ユンジン社長は、それはとてもよく出来た方で…」


「じゃあ、そんなによく出来た人格者の方が…
どうして若いお針子に手をつけられたんですか?!
そうやって生まれた子…ユノは幸せだと?」


「そのことは…私には…」


ジョハンの言う通りだ。
つい、カッとなって立ち入ったことを口走ったと…
チャンミンは自分を恥じた。


「とにかく…僕はユノを守ります。
ユノが行かないというのなら、僕はユノを離しません!
あなた方からすれば、貧しく苦しい暮らしに見えるでしょうが…
僕たちはそれなりに毎日を楽しく暮らしています!」


「いえ、そのようなことは決して…
こういった話がすぐに纏まるとは思っておりません。
いままで育てて下さったチャンミンさんの思いもわかります。
すぐに、とは言いません。
私からユンホ様にお話をさせていただくことは叶いますか?」


「お断りします」


「では、もし…何かの折にでも…
ユンホ様にそれとなくお訊ねいただけませんか?
ユンホ様の居所さえ把握できれば、あとは気長に待つと社長は仰っています。
どうか、ユンホ様の将来のこともご考慮いただき…
チャンミンさんのご理解をいただきたく存じます」


深々と頭を下げ、ジョハンは帰っていった。
社長のため、仕事ではない案件でここまで誠意を尽くすとは…
チャンミンはジョハンに対し、不思議と憎めないものを感じた。
そんな忠誠心溢れるジョハンに慕われるユノの父は、
相当な人格者なのだろうということも…


「くそっ!」


チャンミンは椅子の背もたれを力任せに殴った。
ユノの実父は、国内でも指折りの大企業の社長だった。
その一人息子であるユノは…
将来はその企業を継いでいく後継者だということだ。
こんな、貧しさと背中合わせの暮らしなど無縁の世界…
本来ならユノはそういう世界で生きているはずなのだ。
生活費を切り詰め、爪に火を灯すように暮らさなくても、
父親の元へ帰れば裕福な暮らしが待っている。
チャンミンは自分が惨めだった。
母親亡きいま、ユノを世界で一番愛しているのは自分だと…
その自信だけがチャンミンを支えていた。
だが、そんな目に見えない…腹の足しにもならない想いは…
突然、降ってわいた現実の前では無力だった。


「ユノ…」


ユノの幸せ…
それだけを考えてこの5年を過ごしてきた。
自分なりに精一杯の愛を注いできたつもりだったが…
チャンミンは、もうすべてが分からなくなっていた──



「おう、ユノ!いま帰りか?」


「ドンヘさん!カイ兄ちゃん、いる?」


「ああ、あいつもいま帰ってきたよ。
ほら、これ。腹減ってるだろ?」


「わぁ!ドーナツだ!ありがとう!!」


ドンヘのパン屋の二階へユノはドーナツを持って上がっていく。
カイは中等学校へ進み、早いもので来年は高等学校の受験が控えていた。
兄のドンヘがパン屋を継ぎ、次男のカイは自由気ままに青春を楽しんでいた。
ユノはカイを兄のように慕い、何かといえば部屋に遊びに来ている。


「ほらよ、これ新しいの。今月号はマルセリーノの特集だぞ」


「すごい!マルセリーノのベッテの写真だ!カッコいいなぁ!」


ユノはカイが買うサッカーの雑誌を毎月読ませてもらっている。
ユノにとって雑誌は贅沢品なのだ。


「あ、なに…これ?なんか挟まってるよ?
『カイへ…ティナより』って…え?ティナ?ティナって…」


雑誌の間に、一通の手紙が挟まっていた。
薄いピンクの、花模様が可愛い封筒だ。


「ちょっ!そ、それはっ…!」


カイはユノの手から、素早く封筒を奪い取った。
 

 

 

 

 

 

 

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