※流産についての表記があります。
ネガティブなお話ではありませんが、閲覧は自己責任でお願い致します。
思うまま書いたら長文になってしまいました。
わたしの人生において、ほんとうに大きな、貴重な、大切な経験をさせていただきました。
2015年7月15日深夜、自然流産しました。
予定外だった三人目の子を妊娠したとわかったとき、少しの間パニックでした。
なんで今なの?
ようやく子育てが一段落して自分のために時間を使えると思ったのに、やりたいこともようやく見つかったのに、またわたしを犠牲にしなきゃいけないの?
情緒不安定による激しい夫婦喧嘩もして、自分のために生きるってなんだろう?っていっぱい考え、自問自答しました。
これほどに拒否反応がある自分に対しても戸惑いましたが、とにかく、どうしたら良いのか、自分の気持ちがわかりませんでした。
これまでタブーだと思っていた中絶についても真剣に調べました。
調べるにつれ、同じく三人目の妊娠で葛藤する人が日本には多い、と感じました。
そして、三人目の子を堕胎した女性のブログに当たり、彼女と胎児の対話の記録を読みました。
その胎児によると、
堕胎の決意をしようがしまいが、生まれない赤ちゃんは生まれない。
命は期間の決まったチケットを持ってこの世にやってくる。
と。
赤ちゃんは母のために生まれてくる。
ということは、この子も意味があってやってきたんだ。
状況もタイミングも、今、ここを選んで。
わたしを選んで。
わたしはどうしたら満足なんだろう?
安心して、産みたい、と思いたかった。
そうできたら最高だった。
だけど、これからはわたしのやりたいことをやるって決めたのに、また自分との約束を破るのがいやだった。
でも、「やりたいこと」が変わっていたことに気づいたんです。
そのときのわたしのやりたいことは、妊娠を受け入れること。
そうか、わたし、赤ちゃんを喜びたかったんだ。
わかった。
委ねよう。
この子の好きなようにしよう。
だってわたしがそうしたいんだから。
生まれてきても、来なくても、受け入れる。
どんな運命であろうと、その運命ごと愛すよ。
そう決めた途端、スーッと楽になりました。
あー、わたしこうしたかったんだ。
それからは迷いはありませんでした。
家族や、一部の直接連絡を取る機会があった知人などに妊娠を伝えました。
妊娠超初期で知人に打ち明けることについては賛否両論あるかと思います。
しかし、まだまだ何があるかわからないけど、それも含めての今のわたしのことを開示してゆくことが、わたしにとっての覚悟である、と思っています。
流れに身を任せる、と宣言すると、現実の方が動き出しました。
お仕事も、人間関係も、淀みなく流れはじめました。
驚きましたが、やっぱりそういうことなんだと納得。
常に、わたしが幸せでいること。
それしかない。
それがあってはじめて、誰かを幸せにできるんだ。
ある日、不正出血があった。
赤ちゃんは心拍確認できたけど、羊水が少ないとのこと。
対処は安静にすること。それ以外ない。
どきどきした。
でも、どうなるにせよ、目の前のことをコツコツやるしかないし、自分という自然に逆らってもしょうがない。
今、感じられるすべてに感謝しました。
わたしは、感じた。味わった。
妊娠して、パニックになったけど、自分でちゃんと受け入れることができた。
出血が怖かった。
けど「何があっても受け入れる」と決めていたから、それも含めて、赤ちゃんがお腹にいることを楽しんだ。
心拍が確認できて、すごくすごく嬉しかった。
エコーで見えた、ピコピコ動く心臓がとてつもなくかわいかった。
羊水が少ないと言われて、怖かった。
安静にして、夫と子どもたちにたくさん労ってもらった。
愛をたくさん感じた。
冷やさないようにしたり、やれることはやった。
なるようにしかならない、でもただの心配しすぎかもしれない。
どうか無事で、元気でありますように。
7月10日、心拍が確認できないと言われて、エコーでも心臓が全然動いてないのがわかった。
これって、動き出す可能性ってあるんですか?と聞いた。
いや。と先生。
生活習慣とか何か原因があったとかではなく、確率の問題だよ。
植物の種も10個蒔いても、一個くらい芽が出なかったりするよね。それと同じだよ。
経産婦で胎児も小さいので、自然流産を待つことになった。
びっくりして、そうかと納得して、涙が出たけど、自分がなんで泣いてるのかはよくわからなかった。
あーそうか。
うんうん。
そういうことね。
言い聞かせる。
赤ちゃんが死んじゃったよ。と夫に言う。
なんにもわからなくても時間はどんどん進む。
お花を買った。赤ちゃんをイメージして。
少しでも癒してあげたかった。
ぼんやりとして、ピンとこないまま4日が経つ。
出血もあるし、お腹も痛い。
でも、出てくる気配がない。
わたしのお腹には死んだ赤ちゃんが入っている。
たくさん考える。
なんとか現実を捉えようと、一緒懸命。
でも、いくら頭が整理できても、心がじっとして動かない。
だから、ほっといた。
普通の生活をしてみた。
夕方、お腹が痛かったので少し横になっていた。
iPhoneで他愛ない、全然自分に関係ないお笑い画像みたいなのを見てたら、
突然、ほんとうに突然、ぶわっと涙と嗚咽が押さえられなくなった。
一瞬遅れて哀しみがやってきた。
驚いた。涙が先だった。
布団に突っ伏して、号泣した。
肉体を持って抱っこしてあげられなかったことが、哀しい。
今、別れなければいけないのが、寂しい。
あなたがかわいくてかわいくて、いとおしい。
かなしい は、 愛しい とも書く。
赤ちゃんの肉体の死を、心と身体と頭ぜんぶで、ようやく実感できた瞬間だった。
それから急速に痛みは強くなり、ああ、もうすぐ出てくるんだ、と感じた。
そして日付を越えた頃に、ひっそりとわたしと赤ちゃんの身体は離れた。
最後は痛みはなく、落ちついて、きちんとこの手で受け止められた。
しっかりお別れをした。
わたしたち夫婦の心尽くしで、弔った。
たくさん泣いた。
涙が出てよかった。
この涙が自責の涙でなく、赤ちゃんがかわいくてかわいくて仕方がないから流れた涙であることが、嬉しかった。
わたしたちから、赤ちゃんへの愛をたくさん感じた。
そして、赤ちゃんからわたしたちへの愛も、たくさんたくさん感じた。
わたしのお腹に来てくれてありがとう。
わたしたちを選んでくれてありがとう。
短かったけれど、いっしょに生きられて嬉しかった。
最後までそばにいられて嬉しかった。
たくさんのことに気づかせてくれてありがとう。
妄想でもなんでもいい。
夫とふたり、抱きしめた子の魂は、愛されて喜んで、笑っているように感じた。
結局、この子を妊娠したことでわたしたち家族の絆はよりいっそう強くなった。
夫の職場にはかなり迷惑をかけているが、最大の配慮をしていただけたと思う。
家族への愛も、家族からの愛もさらに溢れるように感じている。
わたしは、妊娠や子育てを言い訳にせず、やりたいようにやることはできる、そしてマタニティライフを楽しむこともぜんぶ自分で選べる、何を選んでも絶対に幸せになる、と確信できた。
そして、お仕事の方も動き出した。
妊娠や流産について、母にもたくさん話を聞いてもらって、絆は深まったと思う。
数年前まであれほど反発していたのに!
妊娠判明から赤ちゃんの心拍停止判明まで、約一ヶ月。
それだけの間に、ものすごくたくさんのものを貰いました。
わたしの流産は、きっと幸せなものだった。
これはあくまでわたし個人の経験で、今一区切りと感じているとはいえ、これから気持ちは変わっていくことと思う。
でも、どんな命でも、存在していること、一瞬でも存在していたこと、それだけですばらしいと、間違いなく言える。
うちの子たちは三文字で最後に「る」のつく名前なので、三人目もそれは統一したいな~と思っていました。
妊娠するずっと前に雑談でその話をしたとき、周囲には「ひかる」じゃない?と言われたけど、なんだかピカピカすぎてそのときはピンと来なくて。
でも来なかった理由がわかった。
やっぱり、身体を持って生まれてこれないことを、わたしはどこかで予感してたんだ。
でも、産んでよかった。
妊娠してよかった。
絶対にまた会いたい。
絶対また会える。
確信している。
そのときは、この有り余る愛情を注ぎまくる準備万端で迎えよう。
三人目の名前は、「めぐる」にしました。
命は循環するから。
まためぐりめぐって、きっと出会えますように。
めぐる、最後にきれいな空を見せてくれてありがとう。
また逢おう!!