またまた 久々になってしまって・・・
6日に 入院した義母に、翌日7日 朝ごはんに間に合うよう、箸・コップ・着替えなど 入院に必要なもの一式もって行った。
義母は、貧血らしく、赤血球の輸血をしていた。ご飯はまだ食べれてないようだった。
お茶とテレビカード、イヤホンを買ってきてと言うので、地下の売店で購入。
のんたんも一緒に行ってたので、「のんが保育園に行くの遅くなるから、はよ帰んない。」
と心配する義母。
帰り際、「明日の加工室でのつゆ作りは、忙しければ断ってもいいからね~。」と言うので、
「大丈夫だよ。行くよ~。あくまきも作ってくるわ~」
と言って、家に帰った。
夕方 のんたんがどうしてもばあちゃんとこに行くとダダこねるので、ダーリンが連れて行くことに。
義父にも一緒に行こうと何度も誘ったんだけど、「明日また行くからいいわ。」って。
しばらくして、帰ってきたダーリンとのんたん。ばあちゃんに会えて満足したのか、何も言わず、お風呂に入る準備をしていた。
夕食 ダーリンに様子を聞いてみると、「なんか、ボケたっちゃろか。変な事言いよったど・・・」と。
前にもそんなことあったので、あまり気にせず、話し相手がいないとぼけたようになるっちゃろかねぇ。
と話して、ご飯食べるようになったら、歩く元気も出るから、すぐ治るが~と その日は休みました。
次の日、牛の注射に回る為、ダーリンはいつもより1時間早い出勤。
私も、のんたんの髪の毛結ってあげて、保育園の準備を始めてた。
電話が鳴ったので、義母からかなぁ・・・ 公衆電話まで歩けるようになったのかなぁ・・・ 何か忘れ物かなぁ・・・と思ってた。
内線で、義父が、「なんか、意識が無いごたる。急いで病院に来てくりて言やるが・・・」と不安げに言うので、
あわてて戸締りをして、病院へ。
そこには、もう意思の疎通の出来なくなった義母が寝ていた。
脳の反射運動なのか、頭を振ったり、手を動かしたり、ひっきりなしに動いてはいるものの、意識は無く、言葉にも痛みにも反応しなかった。
血糖値は正常。脳のCTをとったが、脳梗塞はない。
血圧はいつも低めだが、その日も低かった。
今年に入って、腫瘍マーカーの数値はドンドン良くなっていた。
あまりの異常さに 義父も「親戚を、兄弟だけでん、呼んだほうがいいじゃろか。」と。
電話して、事情を話し、来てもらう。
ダーリンにも電話をするが、注射に農家さんの畜舎を回っているので、代わりの人を頼むまで、どうしても抜けられない。
どうしよう・・・ どうもしてあげれない。
何もしてない。何もしてあげれない。
痛いのか、苦しいのか、暑いのか、寒いのか、何も言わない義母を ただ見つめるだけしか出来ず、
涙も出ない。
親戚はぞくぞく集まり、交代で休憩しながら容体を見守る。
ダーリンは なんとか都合をつけ、14時ごろ到着。
子供たちのお迎えは 実家の母に頼み、とにかく見守るだけ。
夕方になると、だんだん脈が乱れてくる。
血圧も機械では測れなくなる。
残りの親戚にも電話する。
7時過ぎ、交代で、食事をする。
8時 連絡した親戚が到着。
しばらく 看護婦さんが体位を変える作業をしてる。
みんな食事が済み、看護婦さんが部屋を出る。
脈が・・・・・
おかしい。
あわてて みんなを 部屋に呼ぶ。
みんなが部屋に入り、3分後・・・
脈が止まった・・・
呼吸もしてない。
どっと、冷や汗が出る。
兄弟の方々が、義母をゆすり、すがり泣いている。
主治医が死亡宣告をする。
脱力感とともに一気に涙があふれてくる。
はぁ・・・・
ダーリンは気丈にも 涙を流してなかった。
あんなに 涙もろいダーリンが。
その後は、主治医の説明や、葬儀屋さんへ連絡など、ばたばたと過ぎてしまって、
私は義母を迎えるため、一足先に自宅へ戻るが、何がどこにあるもわからない。
お手伝いに来てくださった、親戚の方に、「お盆は?」「お湯呑みは?」と聞かれても、
「わからん・・・お母さんに聞いて。」としか 言えなかった。
実家の両親と子供たちが帰ってくる。
義母も帰ってきて、子供たちは義母がそこに寝ているのに、
「ばあちゃんは?死んだと?帰ってこんと?いつ帰ると?」と何度も聞いてくる。
戸惑うばかりで 受け止めるまで時間がかかるだろうから、2時間ほどして 子供たちをまた実家につれて帰ってもらった。
その後は 葬儀屋さんと話をして、御通夜祭、葬儀告別式、十日際と済ませた。
わからないまま、どんどん過ぎてしまって、気持ちの整理も付かないまま、小さい箱に納まってしまった義母を見て、なんてあっけなかったんだろう。
もっと、いろいろ、介護とか、看護とか、いろいろあるじゃんかぁ。
何も、まだ してないのに。
のんたんの ランドセル姿 見るって言ってたのに・・・と後悔の思いばかりで。
義父も心臓病を患っているので、それも心配。
疲れてるはずなのに。