理由は簡単。
ネタが無いんです。
つまり、それほどばーばの状態は安定していて特段書き残すほどのことがないからです。
便意をもよおせば、自分でトイレに行き、用を足した後は、シャワートイレのお尻洗いのスイッチを自分で入れてきれいにしています。
ごはんは、柔らかく煮たものや刻みにすれば、一人で食べ、いつも完食です。
昼と夜の区別はしっかりついていて、昼間はトイレを使い、夜間はポータブルを使っています。
まぁ、朝になるとポータブル周りが濡れていたり、シーツやパジャマは毎朝洗わなくてはいけないですが、それだけ。
それも、夜間はオシッコを漏らしても、私を起こすのは申し訳ないからと、自分でなんとかしようとしているからです。
デイの職員さんも
「ショートに行かれた後は、レベルが落ちる方が多いですが、ばーばさんは全く変わりませんね。」
と言ってました。
じーじの一周忌までは、私自身、張り詰めていて全く余裕が無かったですが、ばーばも一周忌以降、ほとんどじーじのことにふれません。
大切な人が亡くなっても、「時間」は確実に遺された者を癒してくれるんですね~。
今までは、自分のしてきた介護を疑問視していて、否定的にとらえていました。
じーじは、嫌だったり苦しかったりしたかもしれないけど、最期は家で、布団の上で家族に看取られて亡くなったことを良しと思ってくれているんだろうな、と考えられるようになってきました。
仲の良い夫婦だったので、ばーばもじーじが亡くなったら、後を追うように弱ってしまうと思っていましたが、吹っ切れたのか、とても元気。
そんなばーばを見るにつけ、まだまだ続きそうな介護をこれからどうやっていくか、考えなおさなければいけない時期に来ているみたいです。
私が60歳になるまでには、確実に介護から卒業していると思っていたけれど、後8年くらい介護は続いてしまうのかもしれないですね。