昨日はじーじの月命日だった。
けど、忘れてた。
今まで月命日には朝晩読経をし、お供え物も新しくしていたのに。
昨日は、すっかり忘れていた。
そして、昨夜ばーばを寝かしつけてホッとしていたら、なんだか無性にじーじが恋しく、涙があふれてきた。
なんでなんだろう?
って思いながら「喪失感」なんてワードをググっていた私。
ひとしきり泣いた後お風呂に入っていて
「ずっとじーじをお風呂に入れていたなぁ~」
なんて考えていて、フッと思い出した。
しまった、今日はじーじの月命日だった。
なんだか、笑えてきた。
「喪失感」なんてワードググってても、時間という薬は確実に遺された家族の心を癒している。
日々の生活に追われ、今目の前にいる人の介護で精一杯で、あれほどじーじを亡くした時は辛かったのに。
でも、なんかすぐそばにじーじが居る気がした。
一人感傷に浸っていた私に
「お~い、今日は俺の命日だぞ。忘れてないか?」
って呼びかけていたんだろう。
そう思えたら、ちょっと嬉しくなった。
宗教的には、成仏してないってことなのかもしれないけど、きっと私とばーばのことが心配で、おちおち天国でのんびりしてられないのかもしれない。
時が流れ、亡くした人のいい想い出だけが残り、遺された私たちは、今を精一杯生きる。
それでいいんだと思う。