ルーツを求めて 1 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

先月中、仕事の平日休みを利用して、じーじの「出生から死亡」までの

戸籍を取りに役所に出かけていた。


銀行の相続手続きなどに必要な書類だが、他府県で生まれていたり生活していたりすると、

戸籍を取り寄せるのは大変だと思う。


そういう場合は、郵送で取り寄せることも可能。


うちのじーじの場合は同じ県内だったので、行った方が早いと思い、

自分で取りに行くことにした。


今現在住んでいる「町」の前は、名古屋市昭和区。


私はそこで生まれているので、そこまでは簡単にわかっていた。


そして、現在名古屋市は、どこの区役所に行っても、

すべての区の戸籍を取ることができるようになっている。


でもこの便利なサービスは、平成24年6月からの実施。


それ以前は、それぞれの区役所に行かなければならなかったってこと。


この便利なサービスのおかげで助かった。


私もばーばも知らなかったことだが、じーじは同じ名古屋市内で四回も転籍をしていた。


そして、やっぱり、じーじの出生は本家のある「小牧市」。


小牧市役所まで、高速に乗って行ってきました。


そこで渡された、一通の除籍謄本。


それを見てビックリ。


じーじが生まれたのが大正14年。その親の、また親の戸籍なので、

戸主の生年月日は「文久元年」。


「文久元年」って、いつ?

江戸時代かよ?


っていう驚きはさておき、戸籍を読んでいくと、昔の「家」制度の弊害で

不幸になった親子が、その戸籍の中に存在していた。


じーじのお母さんの名前は、本家の戸籍の中には無かった。


じーじのお父さんは、戸籍のある本家の四男坊。


本家は、恵まれた富裕な農家。


私が幼い頃、法事で訪れた時の記憶では、

本家は、大きな家・広い庭・敷地の中には立派な蔵もあった。


昔の「家」制度で、四男坊と言ったら、養子に出してもいいくらいの存在。


しかもじーじのお父さんは、今でいういわゆるニート。


実家のお金を当てにして、ろくに仕事もせず、バイオリンを弾いていたらしい。


じーじのお父さんは、大正時代に撮られたすっごく古い写真でしか見たことがないのだが、

他の家族はみんな着物を着ていたのに、一人だけ三つ揃えのスーツを着ていた。


白黒写真で、そのスリーピースのスーツは白っぽく写っていたので、

おそらく白のスーツだったんだと思う。


大正時代に、白のスーツを着てバイオリンを弾く。


めっちゃハイカラで、しかも顔は結構なイケメンだった。


そんなろくでもない(失礼)四男坊が、本家が認めたくない女性と暮らし、子を授かる。


授かった子供が、じーじとじーじの姉妹だった。



一通の古い戸籍が、知られたくなかったっであろう事実を白日の下に晒す。



今の時代もいろいろ大変だけど、昔の「家」制度で暮らしていた女性は、

本当に苦労したんだなって思う。


私は、今の時代でよかったよ。


                                      続きます





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