あの日のこと 1 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

4/6(月)この日はどうしても仕事を休めなかった。

入学式や新学期の行事で休むパート仲間が多く、
子供が巣立った私が出勤する予定になっていた。

じーじは木曜日に高熱を出し、その日に訪看さんに注射を打ってもらい、次の金曜日にかかりつけ医を受診し、点滴を打ってもらっていた。

そのおかげで、土日は熱が上がることも無く、普通に生活していた。

ただ、排便は無かった。

発熱で、ご飯の量も減っているし、仕方ないことだと思っていた。

日曜日の午後から、またじーじの体調がすぐれず、熱が上がることは無かったものの、起き上がれず、日曜日の夜は晩ごはんを食べずに寝てしまった。

そして、4/6月曜日の朝。

やはり、起き上がることができない。

リハパン・パット・下着・ズボンを替えたが、全く自立で起き上がることができない。

月曜日はデイの日。

本当はデイに行かせたかったが、この状態では無理と判断して、デイに電話をかけ、二人とも休む旨を伝える。

水分だけでもと思い、OS1ゼリーを飲ませる。

この時の体温は37.2度。

たぶん、熱が上がるだろうと思い、解熱剤と抗生剤を飲ませる。

訪看さんに電話をして、午前中に来てもらうようお願いする。

そこまで、やれることをやり、自分の仕事に出かける準備をした。

仕事に出かける時間になっても、やはりじーじは寝たまま。

ばーばに
「悪いけど、今日はどうしても休めないから、一日じーじの面倒を見てて。もうちょっとしたら看護婦さんが来てくれるから。」
と言って、忘れないようにメモ書きを渡す。

そして、寝ているじーじに向かって
「どうしていつもいつも、私が忙しい時に限って熱を出すの?もうこれ以上、私の人生の邪魔をしないでくれる?」
そう言い放ち、仕事に出かけた。

11時過ぎ、会社に訪看さんから電話が入った。

朝の段階で
「訪看さんが救急搬送が必要だと判断したら、そのようにしてください。」
と頼んでいた。

そして、
「仕事中は携帯をとることができないので、何かあったら会社に電話して欲しい。」
とも、伝えておいた。

慌てて電話をかわると
「娘さんがとても心配しておられたので、会社の方に電話をかけさせてもらいました。」
「先ほど、主治医の指示で注射の用意をして訪問させていただきましたが、いつものようにダイニングの椅子に座っておられ、お母様に聞いても元気そうだということでした。」
「バイタルも問題無かったので、注射はせずに帰ってきました。」
「ただ、朝、娘さんがとても心配しておられたので、連絡させていただきました。」
とのこと。

昼の休憩時間に一度家に帰ろうかと思っていたが、その調子なら大丈夫だろうと思い、午後も仕事を続けた。

帰りにOS1ゼリーを2本買い、家に帰った。

時間は、午後4時過ぎ。

じーじは、ダイニングにはいなかった。

じじばばの部屋に行くと、いつもの椅子に座っていたが、ばーばが言うには、部屋のこの椅子にたどり着くまで、ものすごく大変だったらしい。

午後になると、調子が悪くなる。

熱は朝とたいして変わらず、37.3度。

でも、ぐったりしている。

手を触ると、熱があるはずなのに冷たい。

また、訪看さんに電話をする。

きっと、この時訪看さんは私のことを「オオカミ少年」だと思ったに違い無い。

「調子が悪い、悪いと言う割に、たいしたことないじゃない。」
と。

                               続きます

コメントの中で「記録にとどめておくことが大切」とアドバイスいただいたので、詳細を記憶している今、本当はちょっと辛いけど、書き残しておこう、と思っています。

しばらくはコメントに返信はできかねますが、すべて読ませていただいております。

皆さんからのコメントに勇気付けられて、ここまでやってこれました。

本当にありがとうございます。





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