じーじの嚥下障害がひどくなっている。
とにかくむせる。鼻水を出す。
水も、ごっくんができない。
もう、家族と同じものを、少し柔らかくしたり、刻んだりした程度の食事は無理かもしれない。
朝はパン食だったのだが、パンは口の中に張り付くみたいで食べにくそう。
最初は、慣れない入れ歯が合わないせい、と思っていたが、
刻んだ食事でも飲み込みにくいのは、飲み込む力が弱っているせいだと思う。
いわゆる介護食を、ネットで注文する時が来たのかもしれない。
今日の晩ご飯、メニューは雑炊・ぶりの照り焼き・ほうれんそうのお浸し・黒豆。
娘としては、きちんと栄養が摂れるよう、魚・肉・大豆・緑黄色野菜等を
毎日、軟らかく煮たり・片栗粉でとろみをつけたり工夫して調理しているつもりだ。
でも、おかずには一切手を付けずに、白飯だけ(今日は雑炊だけ)食べるじーじに
腹が立って仕方がない。
しかも今日は、飲み込みにくいからだと思うが、食後の薬を隠しやがった。
つい、手をパシンと叩いてしまった。
まるで幼い子供を叱るお母さんみたい。
どちらかというと、完璧を求める性格の私は、相手にも完璧を求めてしまう。
子育てもしかり。
特に長男には、完璧に私の理想を押し付けてしまった感がある。
多少脱線しかかったこともあったが、彼はいまだにそのレールの上を走っている。
申し訳ない。
私がこれだけ頑張っているんだから、これだけ努力しているのだから
と、じーじにも成果を求めてしまう。
土台、認知症の衰える一方の老人に、成果を求めるほうがおかしい。
でも、じーじの衰えを・老いを認めたくない。
じーじの認知症を受け入れたくない。
若年性の認知症と違い、85歳以上の超高齢者の認知症は
老いからくるものなので仕方がないことだ。
すんなり受け入れられるはず。
でも、それができない。
会話もまともに成り立たず、口をポカンと開けてボーっとしている姿を見ると、
無性に腹が立ってくる。
だけど、現実から目を背けちゃいけないね。
完全な介護食に移行することで、また一つ介護の階段を上がったことを
実感せざる負えないだろう。
はあぁ o(_ _*)o
ため息ついでにぽちっと。