書店で「芥川賞受賞!」とか見出しがついていると

つい、手に取ってしまう。

この本も目に止まって、表紙と帯を眺めたのだけど

63歳が書いた74歳の未亡人の話とあって魅力を感じなかった。

渋すぎる。自分には早いなと思った。

なのに中を開いて最初の1ページ目を読んですぐさま、購入した。

この文章を声に出して読みたいとムラムラきたからだ。

 

「おらおらでひとりいぐも」

若林千佐子

 

 

東北弁での主人公のしゃべりではじまり、標準語も混じり、

独特のリズムで綴られていく。

 

私は関東で生まれ育ったので方言とは無縁だけど

親戚が秋田にいて子供の頃は身近に方言を耳にしていたので

親近感があるせいなのか自分でもしゃべってみたいと思っていた。

でも、女優でもない限り自分の故郷以外のなまりをしゃべる機会なんてない。

 

だからこの本は私の欲望を満たすチャンスを与えてくれた。

でも、それだけじゃなかった。

私の欲望を満たすと見せかけてリズムよく侵入してきて大きく揺さぶられた。

 

 

作者がテレビに出ていたのを見たことがある。

東北弁を作品の中に使ったことにたいして

「もし、伝わらなかったとしてもどうしても東北弁でなければ嫌だと思った。」

というようなことを言っていた。

 

方言で綴られるといっても、会話劇ではない。

ほとんど主人公の桃子さんの頭の中のおしゃべり。

それがジャズセッションとなる。

老年の未亡人の葛藤やら後悔やらも楽しげに聞こえる。

 

 

だが中盤に入って、亡き夫への切実な思いが描かれてくると読むのが遅くなった。

結婚も大恋愛もましてや死別など経験がない私に理解、感情移入できるだろうかと。

期待しないまま、誰かに読み聞かせるがごとく、ひとり声を出してみる。

 

 

なぜか涙がどんどん出てくる。

けして、泣かせようと演出された文章ではない。

自分でもどこに感動しているのかわからない。

夫と死別した孤独や悲しみなど私にわかるとも思えない。

何か、心の振動するところに直接、何かされたような感じだ。

なんだろう。

たぶん、これが作者の母語である東北弁をそのまま話し言葉として表現した理由だと思った。

生きている言葉でなければ伝わらない。

 

 

そして私が声にして振動してみたかった理由だったんだ。

 

 

私の頭の中のあれやこれやのうるさいおしゃべりも

丁寧にリズムをとって音程を探っていくと

テーマ曲が奏でられているのかもしれない。

 

 

 


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