昨年の11月にツイートさせていただいたのですが、
まだTwitterに慣れていなかったため、まとまった説明ができず、後悔しておりました・・・
今回『月雲の皇子』ブルーレイ発売記念ということで、
勝手に伊予之二名島(愛媛県)に残る木梨軽皇子様ゆかりの地をご紹介したいと思います!
愛媛に残る木梨軽皇子様の伝説は2通りございます。
まずはハッピーエンド(?)バージョンから。
ハッピーエンドバージョンの舞台は松山市の姫原というところにあります。
允恭天皇の皇太子、木梨軽皇子と軽大郎女(かるのおおいつらめ)(衣通姫)は、
許されぬ恋におち、太子は伊予に流された。姫は恋しくてたまらず追いかけて来たが、
2人はついに「自ら共に死にたまひき」とあります。
『月雲の皇子』で穴穂が最後に語ったとおり伝わっています。
村の人たちは2人の霊を哀れんで神社を建て、毎年4月28日に祭礼を行っているそうです。
↑「軽之神社」という神社で、現在は住宅街の中にある小さな神社です。
神社から少し歩いた山裾には2人を祀った「比翼塚(愛し合った男女を一緒に葬った塚)」があります。
「比翼塚」の隣には2人の詠んだ歌の歌碑が建てられています。
【木梨軽の太子の歌曰】
天飛ぶ 鳥も使ひぞ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
(空を飛ぶ鳥も、私たちの間を取り持ってくれる使者だよ。
鶴の鳴く声が聞こえるときには、私の名前を呼んで、元気かどうか尋ねてください。)
【軽の太郎女の歌曰】
君が往き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ
(あなたが出掛けてから、たくさん日が経ちました。
迎えに行きましょう。待つには恋しすぎて、もう待ってなんかいません。)
この地を訪れるにあたり、いろいろ調べてみたのですが、
姫は伊予に入ってから神社を建てたという言い伝えもあり、
木梨軽皇子より衣通姫の方が後に亡くなったという考えの方もいました。
続いて、悲劇バージョンです。
悲劇バージョンの舞台は、松山市よりもずっと東側、
香川県と隣接する川之江市になります。
この川之江市にある「東宮山古墳」が木梨軽皇子のものと伝わっています。
東宮山古墳の伝説には衣通姫が登場しません。
木梨軽皇子は皇位継承で弟穴穂皇子と争い、敗れて伊予へ流されたとあります。
しかし、途中で暴風にあい、木梨軽皇子の乗った船は松山に着く前に現川之江市に漂着し、
村人に宮居を建立してもらって、幾年月を過ごされた後、悲運の生涯を閉じられたと伝わっています。
鳥居の前の歌碑にも「天飛ぶ 鳥も使ひぞ~」のお歌が書かれてあります。
こちらの東宮山古墳が本当に木梨軽皇子様のものなら、
衣通姫とは大和で別れてから、会わないまま死んでしまったということになります。
どちらの地にも、由緒ある故に伝説が残っているのだと思いますが、
東宮山古墳の伝説はあまりに悲しいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。