これも、比較的初期の曲。
明日は、今年の5月7日から3ヶ月経過する日。
その前に。これを文字に綴って、
少し気持ちを整理したいなぁ・・🙄
あの当時の。記憶から薄れる事はない
出棺の時の映像と共に。
強烈に記憶に残ってる事がある。
その後の特集番組だったのか…その辺はもう曖昧だけど。あの映像と共に流れたナレーションがあった。
一語一句の言葉そのものは、もう忘れてしまったけど。
“この若者たちは、果たして自分の親が亡くなった時も、こんなに嘆き悲しむのだろうか・・“
こんなナレーションだった。
私はこれが。ずっと忘れられない。
あの時まだ。絶望とまではいかなかったけど
hideにぃの訃報は、言葉では言い表すことが出来ない
相当なショックだった。テレビで流れている事が理解できなくて…思考は停止し、気づいたら体が震えていて、涙が止めどなく零れていた。その後、ずいぶん泣き叫んだ。
たぶん、この先いつか訪れる、親の死の時も。
きっと、あの時の…あの感情のようにはならないと思う。
人の死ーー。
状況によっても、悲しみの種類って違ってくると思うけど。
例えば、病気とか。年齢的なものとか。余命が見えている場合と。
事故や自殺、心臓麻痺とか。突発的に訪れる死。
覚悟する時間があるかないかでも、悲しみの種類、
その後の、気持ちの整理のつき方も多分変わってくる。
自分にとって、どんな存在だったか。
それによっても当然違ってくる。
今年の10月末で、4年になるかな………
10年以上一緒に働いた方の自殺を、私は経験した。
年齢は確か、ちょうど10歳上の方だった。
週に3日の出勤だったけど、仕事をしていく上で一番頼りにしていて、私の心の支え的な方だった。
詳細は書かないけど、亡くなる少し前から…異変はあった。
仕事上だけの関係だから、結果は変わらなかったかもしれないけど。もう少し踏み込んで、話を聞いていたら…違っていたのかなんて、今も思うけど。
その方に対して。今でも悲しみはあるけれど、
それも。hideにぃの時の悲しみの感情とは、種類が違う。
やっぱり一番近いのは、“愛する人を失った悲しみ“
なんだろうか・・・
現実的な出逢いの中で、愛する人がいたことのない私は。そういう場合 どんな感情になるのか、分からない。
でも、愛する人を失った悲しみと、
ファンとして、好きな人を失う悲しみも。
まるっきり同じかと言えば、きっと違うはず。
どれとも違う、独特な、特別な、悲しみの種類。
そしてきっと。気持ちの整理のつけ方も、一番どうしていいか…分からない。
この先も、地獄絵図と共に。
あのナレーションは、忘れる事も
記憶から薄れる事もない。
そして。あの時覚えた、言い様のない、あの感情。
あの独特な感情も、決して忘れられないし
薄れる事もない。今でもあの感情は・・・・・
こうしてブログを綴っている今。蘇りつつある。
愛するhideにぃ。
あなたに、会いたい
“今“のあなたに、会いたい。
・・・もう、ウザいって。
ね。
今日も、声聴いてる。
ちょっと、切ない。