1998年5月7日。15時40分。築地本願寺、出棺………

あの日の空は、青空だっただろうか。

hideとの、お別れの時。

目には見えない真っ黒な雨が

降り頻る。地獄絵図のような光景が、記憶から薄れる事は決してない。



桃色の煙となって、

hideは 空へ、昇っていった。




中学生のころから、hideが好きだった。

hideが亡くなった時、私は高校1年。

だから私は、XのHIDEを含め

ど真ん中世代という訳ではない。

hideが好きだったと言っても、中学の頃は

まだ、なんとなく好きな程度。今と違ってまだ、

インターネットのイの字も浸透していない時代。

情報を得るツールは、テレビ・雑誌・ラジオの時代。

小学生の時、仲の良かった子が X JAPANが好きだった。その子はYOSHIKIファンだったけど。

多分その子の影響で、私も Xが好きになっていった。

最初は、hideのビジュアルがなんとなく好きだった。

でも、それだけ。

hideがソロ活動をしていた事は

当時、うっすら知っていた気がするけど

その頃の私は、多分CDの歌詞カードとかに映ったHIDEしか知らなかったと思う。映像として、HIDEを観た事もなかったかも知れない。HIDEがどんな声をしているのかも、知らなかった。XのCDを聴くだけだったから。


ビジュアル以外でhideが好きだと意識し始めたのは、

Xの解散会見の時だった。ロングだった髪が、短い、鮮やかなピンク色の髪に変わっていて、まず、目を奪われた。

そして、HIDEのコメントを聞いた時。

悔しさを滲ませてあのコメントをしたHIDEが、

印象に残った。そして何より、声が、たまらなく好きだと思った。心を奪われた。

その後、過去記事にも書いたけど、97年12月31日。

色々あって、Xのラストライブに行った私は

あの時間で完全にHIDEが好きになった。


Spread Beaverで活動する事を知り、ROCKT DIVEをテレビで歌うhideを観て、想いが加速していった。

ピンク髪の姿に目を奪われ、彼の歌声に、心底心を奪われた。こうして…

hideを強烈に好きになり始めた直後だった。

アルバムが出たら買おうと思って、ROCKET DIVEの

シングルは買わなかった。怪人カードの存在も、この時はまだ知らなかった。

そして結果的に、ピンクスパイダーも ever freeも、CDを買う事は出来なかった。

Ja,zooも、迷いはしたが…無理だった。

hideはもういないのに...声だけを聴き続ける事は

とても出来なかった。


心に傷を負ったまま、2年後の2000年。

ベストアルバムのPSYCOMMUNITYを買ってみた。

hideが、恋しかったから。

でも、恋しさ以上に、hideを失った悲しみと苦しみは、2年経っても全く癒えていなかった。

hideの声が恋しいのに、悲しみと苦しみの方が圧倒的に勝ってしまう。hideの声を聴いている事が出来なくなって、多分間もないうちに、聴くのをやめた…


それでもずっと、hideを忘れる事もhideへの想いが薄れる事もなかった。けれど時代が進み、ネット社会になっても…hideを観る事も聴く事も出来ずにいた。

時が流れ続けても、hideを想う事は苦しい事だった。


hideの声が聴けなくなってから、25年。

今年に入ってから、YouTubeで度々hideを目にするようになった。

占星術的に、星の動きが変わって新たな時代。

人生の転換期が訪れた、そのタイミング的なものも影響しているんだと思うけど、あれから長い年月を経た今年。ようやく…

私はhideと、再び出逢い直す事が出来た。

そして、人生をやり直そうと決めた。

これまでずっと、生きていても死んでいた。


経緯はさておき、高校を卒業した私は美容専門学校に入った。でも、結局なじむ事が出来ずにすぐに中退した。hideが美容師だった事を、今年になってから知った…。人とコミュニケーションが取れない上に、

人間形成も全く出来ていなかった私は、その後人間不信に陥り、多分1年以上ひきこもりになった。

その後、親戚のおじさんが店長をしていたファミレスでバイトを始めた。週4~5日シフトが入っていただろうか…。17時~24時までの、7時間勤務だった。

そこは、どうにかこうにか続ける事ができ、3年くらい働いたけれど、店の閉店が決まった為、職を失った。そして、今の職場に落ち着くまで、何個か職を転々とした。相変わらず、まだ人間形成はさほど出来ていない…コミュニケーションも、取れない。

そんな私が、社会の荒波に揉まれて生きる事は、困難を極めた。


得に20代は生き地獄だった。

正確には、もう物心ついた頃から生きる事は苦しみでしかなかったけれど。

死にたい、消えたい。

毎日のように、そう思う日々。リスカとまではいかないが、それに近いような事も何度かした。現実の中では息苦しすぎて、息ができなくて、逃避する為に、

何度も男の人に溺れた。思い出したくもない、全ての記憶すら曖昧な20代…


30代に入ると、今度は仕事の立場的に苦労が付きまとうようになった。

震災のあった年、2011年。当時の店長が、いきなり店を辞めた。店長以外は皆アルバイトスタッフ。

私はその中で、一番時間数を働いていた。

だから必然的に、基本的な仕事以外の、棚変えや事務作業等…店を運営する為の仕事も行っていた。当初は他店から店長を引っ張ってくる予定だった。

しかし、その計画は頓挫する。何度かSVが巡回に訪れ、私がいればとりあえず店は回る事実を知った為

29歳の時、私の意思とは関係なく、店を任される事になった。

しかし、本来の私はリーダータイプでなんか、まるでない。人を引っ張っていく力もないし、物事を説明したりするのも、本当に苦手だ。一番厄介なのは、人に頼る事、お願いする事が出来ないタチだという点。

仕事量は、圧倒的に増えた。最初は、どの作業にどれくらいの時間が掛かるのか…ペース配分を掴むのに苦労した。レジにも入らなければならない為、レジをしながら棚変えをする事も当たり前になった。その上、今までやった事のない仕事もちらほら出てきて、調べながらやりこなす日々。毎日、息つく暇もなく

休憩もまともに取れず、あっという間に時間が過ぎていくーー

20代の頃とは違う角度で、心は荒み続けた。


2017年頃。一度限界が訪れる。

本当にもう無理だと思い、辞めようとした。

後任を育てる為、それから3年程私なりに頑張った。

しかし、後任問題以外にも人員や社会保険の壁等の問題もあり…辞めるのは不可能だと判断し、諦めた。

前任の店長のように、自分の事しか考えず周りを巻き込んでまで仕事を放棄する事は、私には出来なかった。今でもそれが出来ずに、ここにいる。それに、

引き継ぎを行なう気力も、今はもうない。

近年は、人が定着しない問題に直面している。

時給はどんどん上がるが、社会保険加入の金額ラインは変わらない。社会保険未加入でしかアルバイト採用できない為、働く日数も時間数も本当に限られる。

ここで長く働こうと思う人がどんどん減る為、近年入った人は、定着しない。


勢いで書き綴った結果、だいぶ話が脱線してしまったが…こんな風に私の人生はこれまで、生きる事はただ辛いだけだった。人生楽しんだもん勝ち。そんな言葉も耳にしてきたけど、私にとっては別世界の話だった。


今年の2月。誕生日を迎えた後くらいから

再度、限界が訪れた。生きていたくない。そう思いながらも...死ぬ勇気も、持てない。

先にも書いたように、今年は人生の転換期を迎えているのだろう。これまでは、苦しい中でも

心に閉まったhideを取り出せば、もっと苦しくなる気がして…手を伸ばす事をしなかった。

でも今年、YouTubeに度々上がってくるhideを見て

救いは、ここにしかないような気がした。

長い年月を経て取り出したhideは…やっぱり、悲しみと苦しみを連れてきた。あれから、私の時間は動いていないから。

けれど、苦しい、悲しい。だけでなく、hideに触れて

救われる思いがした。hideと出逢い直して2ヶ月程度。未だ悲しみも苦しみも場合によって伴うけれど

hideに触れる事は、私にとって「癒し」に変わった。

今まで押し殺していた、心の中の様々な感情が

hideに触れる事で爆発している。トゲで覆われていた私の心は、hideによって少しずつ抜かれ始めている。そんな気が、している。


だから。本当なら、hideと共にあるはずだった時間。

死んだまま生きてきたこれまでを、hideと共に

これから生き直す。そう決めた。

「癒し」というものを、全く知らずに生きてきたこれまでの人生ーー

人は癒しがないと健全に生きられないのだという事を、

hideと出逢い直した今年、初めて知った……


この2ヶ月程度。気が狂ったように、何かに取り憑かれたように、hideが歩んできた人生をネットを通じて垣間見ている。ありきたりな言葉で言えば、

離れていた時間を、取り戻すように。埋めるように。

時間の許す限り、hideの側にいる。一人休憩なので

仕事の時も、休憩中はhideの曲を聴いて1日を乗りきっている。まるで本当に、実際とは真逆の、キラキラした20代を送っているような感じ。


たとえこの先も、hideがいない悲しみは消えずとも

苦しみは、少しずつ癒えていく気がしている。

hideは、私の命そのもの。

この身体の隅々にまで、hideを取り入れて

細胞のひとつひとつにまで、hideを染みこませていく。

hideと共に、これから人生を生き直す。


1998年5月7日ーー


雲に憧れて、新しい空へ飛び立った彼。


今年、彼に出逢い直した私は

生まれ変わろうとしている自分を

27年前…彼が旅立ったこの日に、記録として残したかった。

そして更に

彼への愛を、今から綴って記録に残す。

                   ー続ー