突然の余命宣告 | るんるんキャラ弁

突然の余命宣告


3/12(日) 長崎帰宅して
翌日の3/13(月)に

父から電話がありました。



母が凄く痛がっていると。。。


「大丈夫やろか?っていうくらいずっと痛がっとるさ」


昨日より痛がっていると。。。



そして
次女と父がドクターから話を聞いたようです。


大部屋にいたので
本人が痛がっているから個室へ移したらどうかと。。。



そして
次女からうちら三姉妹のグループラインへ入ってきた言葉が




「余命数日らしい」









。。。。えっ???






仕事が休みだった旦那氏と
出先で固まる。。



次女に電話すると
数値がうんぬんかんぬん言うてたらしく

緩和ケアへの移動も無理だろうと。



痛みが強いみたいだから
強めの痛み止を投与するということと

大部屋だったから
個室へ移動した方がいいと。。




ドクターの話を聞いて
父がその場からいなくなった所で



ドクターに


「余命的なこととかってあるんですか?」




との質問に
あっさり



「数日です。」




と答えたそうです。





凄まじい衝撃でした。





でも、その感情をこえる怒りでいっぱいでした。



今まで一度も余命を言われないのに...





母は個室へ移すようにして
次女から聞く母の様子に心を痛めつつ


長崎にいる三女と話し合う。



次女の娘たちにも
三女の娘たちにも


母の病状の説明はしておらず
この状況を伝えるべきか

伝えず連れて行くべきか...




三女の子供は
小1、小5、小6で


上の子の卒業式が3/17にあるってことで

この数日、卒業式の練習もしていたのです。




三女は上2人には話をしたい。

でも、1人で言える自信がないってことだったので


私が同席することにしました。





末の子は旦那氏が連れ出して
時間を稼いでくれました。




ゆっくりと妹が話してる中
子供たちはショックを隠せず

小6の子は固まって涙をポロポロ流し出しました。



小5の子は

重い空気の中
質問攻めしてました。



口調は普通でしたが
涙を何度も何度もぬぐいながら...



私たちは子供たちを抱きしめました。




卒業式に出れないかもしれない可能性があるから

本人に決めさせようかと思っていたようですが



母の所へ行くことになり
入学式を楽しみに待っていた母の為に


近所の子から
中学の制服を借りてきて


制服を着た姿を携帯で撮りました。






母が倒れる前に
三女の所へ泊まりに来ていた母。



ランタンに行きたかったみたいだけど

体調が悪くて横になっていたと。。





「ばぁば、うちらが成人式するまで頑張るって言うてたよ。」




「具合い悪いけん病院行ったら?って言うたら
  
  もし悪いこと言われたら怖いけん行きたくないとよーって言うてたよ。」




娘の私たちより
孫の方が知ってることもたくさんあります(^o^;)





私が高2、次女が中2の時に
夜中に両親から起こされ


父方の祖父が余命少ないから
学校帰りに病院に顔を出すように言われたことがあります。




とてもショックで
その夜眠れなかったことを覚えています。




姪ッ子たちは小学生だったので
本当に苦しかったです。



きっと両親も悩んでうちらに告げたんだろうなと思いました。



旦那氏に末の子を連れてきてもらい

明日から福岡行くよーってだけ言って



翌日を迎えました。



前日、1時間半くらいしか寝れてなかった私ですが



この日も眠れぬ夜を過ごしました。