不登校の娘への恐怖心 | FAKEの喜びみっけ日記

FAKEの喜びみっけ日記

・2012年2月リウマチ診断。
・2012〜次男次女の不登校、暗い長いトンネル 
・2013.1.4離婚届提出
人生これから!
・2016.2子宮頸癌0期子宮、卵巣全摘出
・2022.3.23地域猫たびちゃんと暮らしだす
・2022.10久しぶりの社会復帰
・2022線維筋痛症診断

「共依存」 と言う言葉をご存知ですか?

あたしはこの言葉を 最近、知りました。

とは、言ってもここで語るほど、本当は良く分かっておりません

でも、気付きがあったので記したいと思います。




この言葉の意味を説明するよりも

不登校の娘とあたしが共依存なのでは?

そのことを書いていきます。



現在、中学二年生の娘は

中学1年生の10月から不登校になりました。



娘は、始めのうちは 学校に何とか行きたいと思い

来週からは、行きたい

冬休みが終わったら登校したい

新学期からは行きたいなど

区切り区切りでどうにかしようと・・・



体は大きいけれど 心は思春期

大人になりきれない揺れ動く心で

いろんなものと戦っていたと思います



その表れとして

「どうして産んだの?」

「どうして生きていないといけないの?」

「何のために生きているの?」

「どうして自分の命なのに死のうとするとみんな止めるの?」

「どうして、悪いことやった奴がのうのうと生きているの?」

こんな言葉を繰り返し投げかけてきたり




不登校のきっかけを作った先生方が謝罪に来た時も

先生方の前で 大声で汚い言葉で先生方をののしり

そして、汚い!触るな!とわめきながら ストカットもしました



夜中に家を出て行き 1時間2時間帰ってこない日も

何回あったか分かりません



たとえ少しの時間でも 髪を長く伸ばし

どこから見ても女の子だとわかる少女が

夜11時過ぎに外を歩いているのなんて・・・

帰宅するまでどんなに長く感じたことか



娘はあたしに対しても 言葉汚く

見てんじゃね~よ とか

あっち行け!

勝手に入ってくるんじゃねー!

うるせーな!

と言った具合に酷い言葉を使っていました



そんな中あたしは、

『母親として できることは何でもしよう!』

いつもBESTをつくしてきました。



でも、この言葉を知って調べていくうちに

このBESTをつくす事にも程があることを知りました。

と言うか、BESTはつくしてもいいのだけど

娘に依存している自分がいたから

苦しかったのかもしれないと思いました。



娘とあたしの場合 依存者は娘

そして、あたしは共依存者と言う仮説です



娘は、学校に行けていない事の戒めにリストカットを

半年以上 多いときは毎日のように

少なくても週3回くらい 両腕手首からひじの辺りまで

赤い切り傷が耐える事がありませんでした



娘は、おそらくですが

学校に行けないことで母親を困らせている

それでもお母さんに愛されていたい 

この気持ちでいっぱいだったと思います

それゆえの・・・来週は学校に行く

冬休みが終わったら行きたい もあったと思います。



不登校だったり

過去のトラウマとなる出来事から

自分を愛する事が出来ずに

こんな自分でも

母親に愛されていたい!愛されることのみで

生きている意味を感じていたのかもしれません。



じゃあ何故? あたしにあんな酷い言葉を言っていたの?

それも 共依存の考えからしたら簡単

「それでも見捨てないで愛して欲しかったから」

だと思うのです。



共依存者のあたしは どうかと言うと

「相手のためを思うがあまり、

献身的に世話をしたり、助けたりします。」




もう、まさにこの通りの生活でした。



自分がこうなっているのは 周りの○(まる)○(まる)のせいだと言えば

それを排除したり 

そのことについて賢明に動き回りました



娘の感情を想像して自分の中に深く投影していたところもあり

だから言わなければならないことも言えない時期が長く続きました



共依存者は、相手の世話を優先して、自分を犠牲にしてしまいます。

あたしも漏れなくそうでした。

大好きな歌まで嫌いになってしまうほど・・・



そして、決定的なのは・・・

そんな娘のために必死に戦っている自分に

ある種の陶酔した部分があったように思います



それは、ブログ記事に過去に書いたかもしれないですが

あたしは、弱いようで実は強い

こんな逆境を誰が変わりに生きられようか

そういう思ってしまうのです



あたしは、母として娘のために献身的に生きることに

生きがいさえ感じていたのかもしれないのです



これはもう 共依存のほか 何でもないと思うのです




これを断ち切ってくれたのは

きつい言葉で「お母さん、お嬢さんに甘えている!」と言った

娘のカウンセラーさんかもしれないです




このあたりから 何か 娘とあたしの間にあった糸が

ぷつっと切れた感じがしました。



でも、断たれた糸は、正しい関係を作るための糸ではなかったのだと思います



その証拠に

「お母さんは、やれるだけの事はもうやったの

 これからは、できないことは できないって言う

 あなたは、自分にしかできないことを探してね」

と言う会話をしてから だいぶ経ちますが

あのあとリストカットは2回しかしていません

今は、綺麗な腕をしています




共依存だったのだと思うけれど

じゃあ どんな風に不登校の娘と向き合えば

一番良かったのか・・・




ここまで書いてきて 

娘はとにかくどんな自分でも

見捨てずに愛して欲しい 大好きだよと

一日に何度でも言って欲しかったのだろうと思います




そして

学校に行けなくて苦しい思いをしている娘は

何かしら考えていると思うのですけど

中学生と同じように親は考えられない

親は生きてきた経験上でものを考えてしまうから




問題を切り離して考える

娘は娘の視点からの悩みであり

親は親の視点からの悩み




こうできたら 共依存になりにくいのかなと

まだ『共依存』については手探りなのに色々書きましたが

未だ何か違うかもしれないし気がついたときに書いてみたいと思います。





この言葉を教えてくれた方に

ちょっとメールで聴いてみようと思います。

こんな風に思ったのですけどって



また、共依存に関してはこちらが参考になるかと思いますのでどうぞ

             下
              共依存とは



その後のカウンセリングで「共依存」ではなく「恐怖心」でしょうと

コチラその記事はこちらですクリック「恐怖心」