2017頃だったかな。。。
めっちゃ調和的に循環する
世界のビジョンが一瞬で
物凄い情報量で降りてきて🌟🌟🌟
なんとか言語化しようとしたり
waccaから和の環に移行して
カタチにしようと試みたのだけど
時期早々だったのか
単なるチカラ不足だったのか
全く伝わらず😀😀😀
『全てのヒトに伝えたい』のは
ワタシのエゴの願望に過ぎず。。。
分からないヒトには全く理解できず🤖
分かってるヒトには
伝える必要もない程に分かってる
シンプルなヒトの在り方💖
そのビジョンは涙が出る程に
平和で優しさに満ちていて
懐かしくて温かい♨️
それは民主主義だったのね❣️❣️
『 民主主義とは
人間が人間として
自分自身を尊重し
互に他人を尊重しあう態度 』
物凄く的確に文章化されててスッキリ👀
日本という国には
下地がキチンとあるので
ワタシ達が正氣を取り戻せば🇯🇵
一瞬で世界の調和を取り戻すのだと思います🌍
今までの世界はニセモノの
なんちゃって民主主義だったけど。。。
本当の意味での民主主義💖
反転した世界の先のモデルとして
知っておきたい大切な情報です😊
『自分を尊重し
他人を尊重する
からこそ平和がある』
民主主義と世界平和の根底は、人間尊重の精神である。人々が自分を尊重すると同時に互に他人を尊重しあうならば、そこにはかならず平和がある。
『自分の信念や
価値観に忠実で
あるという精神』
各人が自分自身の人格を尊重し、自らが正しいと考えるところの信念に忠実であるという精神なのである。また、自らの権利を主張する者は、他人の権利を重んじなければならない。自己の自由を主張する者は、他人の自由に深い敬意を払わなければならない。
どんなに職業や、信仰や、人種が違っていても、人と人との間に、同じ一つの理解と協力の関係が生まれる。単に一国の内部だけでなく、別々のことばを話し、異なる文化を持つ違った民族の間にも、同じように理解と協力の関係が広まってゆく。そうして、だんだんと世界が一つになってゆく。対立と搾取と闘争のない、ただ一つの平和な世界が築き上げられてゆく。
『自分で判断
できる心』
それは、国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、そのとおりに動くのではなく、自分の判断で、正しいものと正しくないものとをかみ分けることができるようになることである。民主主義は、「国民のための政治」であるが、何が、「国民のための政治」であるかを自分で判断できないようでは民主国家の国民とはいわれない。国民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志でものごとを決めてゆく。
『家庭や町や村で
まずはやろう』
町にも政治があり、村にも政治がある。国民は、同時に市民であり、町民であり、村民である。国の政治はむずかしくてわからない場合でも、町の政治や村の政治ならば、だれにもわかりやすい
泳ぎ方を学ぶ唯一の方法は、実際に泳いでみることである。つまり、実際にやってみることによって学ぶのが、教育の根本の原理なのである
民主主義を学ぶには、民主主義的な生活を実行してみるのがいちばんよい。自分でやってみれば、民主主義のよさがわかる。誤った民主主義とはどんなもので、そこからどんな弊害が生ずるかも、身をもって体験できる。
『民主主義的な教育は
勉強に自主性と
自発性を与えること』
民主主義的な教育とは、生徒の勉強に自主性と自発性とを与えるように努めること。
新教育は、生徒の個性を重んじ、その自発性をとうとぶとともに、先生の教え方にもじゅうぶんに自主性を認める。今までのような画一的な教育では、先生も一つの型にはまった教え方をすることを余儀なくされた。これに反して、これからは、先生が自分で教育のしかたをくふうし、自ら教材を集め、郷土の地理や歴史、あるいは、時々の社会の問題や経済問題のような生きた教材を織りまぜて、生徒の知識欲を満足させるように指導していくことができる。新教育は、それだけに先生にも重い責任を負わせているわけであるが、責任は重くなっても、自主的な教育には、先生が自分自身をうちこむことができるから、教えることの楽しみもそれだけ大きくなるはずである。教える方も、学ぶ方も、伸び伸びと楽しく課業を進めていくのでなければ、ほんとうの教育の効果はあがらない。
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鋭いアンテナで先を読んで動く✨
日本人の感覚を研ぎ澄ませる為に
全ては起こっているのかも✨
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どっちが悪で
どっちが善か??
その二元論を超える時だからこそ
バリバリの二元を起こす。。。
氣が付いて終わらせる為に💖
戦う勇気よりも
許す勇気を選びたい🙏
今まさに人類は極限を越えようとしてる🌈
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子どもの様な純粋な祈り
全体として成長を願う宇宙の願い
内側で眠る純粋なエネルギー🌈
揺さぶり起こされる記憶はピュアで美しい💖