【ファイナル・完結編ネタバレ】前編①・エレンはどうして「壁の外に人類がいてガッカリした」のか? | 進撃の巨人が好きすぎる!

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※「ごめん」と言えたエレンはスゴい。ナイミンなら発狂してそれどころじゃない…。

 

ついに「進撃の巨人」ファイナル完結編の前編が公開されましたね。

放映当日は仕事、翌日仕事から帰宅して観たものの…完全ノックアウト喰らってしまい、しばらく放心状態でした…。


※ついさっきまでのナイミン


いやいや…。これほどまでに頑張ってくださったMAPPAの皆様のためにも、「真っ白」になってる場合じゃないと、パソコンを開きました。

今回、まず「ずば抜けてスゴい!」と思ったのは…構成の組み方でした。エレンの葛藤が非常に分かりやすい構図になっています。もちろん漫画でもそうなっていましたが、ナイミンがアニメを指示する理由はやっぱり「絵だけで伝える」のと「アニメーション+声優の演技」が入ってくるのでは印象の受け方が大きく異なるということです。

ラムジー兄弟の顛末は…下手をすればただ目を背けたくなるだけの残酷な場面に終わってしまうリスクがありましたが、エレンの葛藤が分かりやすく描かれたことで、この惨劇の伝わり方が視聴者にとって大きく変わってくると思いました。

 

その中で、もしかしたら多くの視聴者が「えっ?」と思ったかもしれないセリフ。

 

「壁の外の現実は、俺が夢見た世界と違ってた。
 アルミンの本で見た世界と違ってた。
 壁の外で人類が生きていると知って、俺はガッカリした。

 

どうして、ガッカリしたのでしょうか?

ちなみに、同じような台詞がマーベル映画のアベンジャーシリーズの一環「コアファンに人気(?)」な「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」にも出てきます。


※右が惑星エゴ、左がアベンジャーズ史上もっともマイナーなヒーロー「ピーター・クイル」


エゴは惑星として宇宙を彷徨っていたけれど、肉体を自ら作って宇宙へ冒険に出かけます。その中で、生命体と出逢いました。その時の感想を、エゴは「ガッカリした」と語っています。

結果的にエゴは「宇宙を『自分だけ』で満たそう」という欲求に駆られますが、この「ガッカリした」の背景は映画内であまり深く語られていません。←そういう動機、結構大事だと思うンだけどね、日本人としては…。

 

って、この映画を観てない方にとっては「なんのこっちゃ」なのですが、とどのつまりお伝えしたかったのは「エレンの『ガッカリした』は、エゴの『ガッカリした』とは銀河系ミジンコぐらいの違いがある」ということです。(「月とスッポン」の大きさヴァージョンで伝えたかったのですが、そしたら余計ワケわからん表現になってもた…。)

 

エレンは目の前で、お母さんが巨人に食われました。

多くの兵士の仲間達も、死んでいきました。

ハンネスも失い、エルヴィンも失い…ライナーとベルトルトはまさかの敵側…。

アルミンまで危うく失いかけました。

 

もう、充分すぎる程辛い目にあっています。

 

それでも…。

それでも、エレンはエルディアの人達が、愛する仲間達が幸せになる未来を諦めていなかったのでしょう。

 

だけど彼が知った真実は、大国マーレが「1000年前からの歴史」をひっさげて、自分達エルディア人を迫害し続けていたという真実。

そして、その人種差別ともいうべき行為を、世界に生きる人達「誰も」止めようとしなかった真実。

さらに、自分達と同じ血が流れているエルディア人でさえもが、パラディ島に生きている人に罪をかぶせて自分達の無害を証明しようとしている事実。

 

これ…ナイミンだってガッカリしますよ。

 

アルミンが見せた本には美しい大自然があって、そこには罪だの憎しみだのが存在せず、あるのはただただ壮大な自然

でも、実際に壁の外にあったのは…罪だの憎しみだのだけでない、自分達が生き残るためなら他者など踏みつけにしたっていいぐらいに思う人間のえげつなさ。

 

エレンは「未来に自分がやると決まっていた」としても、「やると決まっているから、やるんだろうな~」ぐらいの漠然とした気持ちでいたのではなく、結果的に「そうすることを、自分で選んだ」のだと思います。

でも、葛藤は今でも持ち続けたのでしょう。

アルミン達から巨人の力を奪わずにいたのも、最終結末がどうなるかを踏まえた上で「彼らならきっと、自分を止めてくれる」と信じていたのでしょう。

 

いわば、アルミン達が「世界もエルディア人も救う」ことを信じて…アベンジャーズ・エンドゲームでいうところの「1400万605分の1」に賭けたのでしょう。

 

ヒーローには誰もがなりたがっても…大罪人になんて、誰もなりたくないですよね。(サイコパスはともかく…)

しかも、進撃の登場人物はみんな何らかの「罪人」なのです。第二章にあったように…。

こういう作品が描けるのは、また理解出来るのは、日本の植民地時代の歴史を経て第二次世界大戦の敗北を味わった日本民族ならではかなという気がします。

 

では、「エレンの章」はここまで。

まだまだ続きます!(って次はいつ?)