こんにちは😊


長いGWが終わります。

後半4日間は、晴天の日は庭仕事をしました。


友人夫婦が飲み会に声をかけてくれて

もう一人の友達と4人で夜遅くまで飲みました🍺


今日は、母親と買い物に。

長州の乾物屋さんで、煮干しや昆布、しらすなどを買い込み。


特に大きなイベントもなく、穏やかに終わります。



子どもたちが小さい頃、3年程三重県の四日市市(元楠町)に住んでいたことがあります。

長男2歳、長女0歳から。

夫の転勤です。


わずか3年間でしたが、帰省したのはGW、お盆、年末年始すべて。

すべての長い休みを帰省に費やしました。


理由は、かわいい孫たちを義両親に見せて喜ばせたいから。

車に荷物を積み込んで、幼い子どもたちをあやしながら大阪南港まで行き、夕方のフェリーで翌朝新門司港につきます。

義実家で2泊して、わたしの実家に2泊

最後に義実家に1泊してから三重に戻ります。


毎回くたくた。


実家に帰るのは嬉しいですが、義実家では気も使う。お金も使います。

わたしの実家に帰る時、子どもたちを見送る義母の、寂しそうな声と顔。

毎回罪悪感みたいなものを感じながら、実家に帰っていました。


わたしは、帰省は年に一度でいいのではと何度も何度も言いましたが、夫は全く聞く耳を持ちませんでした。


毎回行きたくないとノイローゼのようになりながら、結局しぶしぶ同行していました。


年越しそばを準備する義母の手伝いを、すぐにしなかったことがありました。

理由は、あるアーティストの女性が、しばらく休養する前の最後の歌を聞きたかったから。

それを聞いたら、手伝うつもりでした。


夫はわたしに言いました。

「ヨメなら手伝え」と。

わたしもキレて反撃しました。

「いちいちうるさい」と。

夫は義母に

「サユリが手伝わなくてごめん、オレが手伝う」


バカか。

わたしは帰省に付き合ってやってる。

そんな気持ちでした。


夫は、彼なりの責任感で帰省を続けたのでしょう。


長男が生まれた頃から

この人は、わたしではなく、義両親の気持ちが一番なんだ

と感じていました。

そう思わせることがたくさんありました。



好きで結婚した相手でしたが

お互いがお互いを大切にできずに

別居に至りました。



別居したのは、これから先

あのひとと共に過ごせるのか考えるためでした。

そしてあのひとにも考えてほしかった。



結果、お互いを干渉せずに、程よい距離で一緒に暮らすということに落ち着きました。

GW、義母には会っていません。

会うのはわたしの気分次第。


気持ちは楽になりました。



でも、あのときの辛かった思いが、丸ごと無くなるわけはなく。

ときどき、わたしを苦しめます。





数日前の夕空はとてもキレイでしたよ。


すみません、ぐちになりました。


お付き合いありがとうございました🥲