退職して…昔の様に攻めて日記代わりにblogの更新だけは続けて行こうと思って居たのに
退職する位身体はボロボロ…携帯を持つ事も出来ず
横になって あっちこっちにクッションを入れ 携帯を持たず固定した形で指先だけでblogを書く
毎日何て夢の又夢

思い出すのも大変だったり一日中ベットの横のカーテンが明るく成り…
暗く成って旦那が帰って来るまで トイレすら行けない事も多々ある
そんな身体と日常でblogを書く気力も体力も無くなり
結局母が亡くなった事や葬儀の事すら書き終わらないまま 母が亡くなって半年経ってしまった(涙)

その半年の間で頑張ったのは父の2回の入院手続きの為に 事前検査に付いて行ったり 入院手続き手術の立ち会い 退院手続きに 
父に具合が悪い事を悟られない様任務遂行した事

その後元旦から1歩もベットから降りる事も出来ない様な生活を1ヶ月して
気が付けば2月に成って居た

そして今日は弾丸低気圧第二弾+雪の予報で 電気敷毛布を入れても 薬を時間ギリギリで、ラムネの様に口に放り込んでも ただただ痛い(涙)
身動きどころか息をするのも痛い 息を潜めてそっと身体を動かして(褥瘡の始まりの様に当たる所が血行が悪く成り 痛みと黒ずみが出て来る)

何でこんな得体の知れない病気に成ったんだろう…
母を見て居て 辛くて苦しそうだったが 終わりがあった

線維筋痛症、慢性疲労症候群と言うのは生きたままこの痛みを感じたまま生きて行く…悪魔の様な病気だと思う…
モルヒネも使っている フェントステープは8mg
エビリファイは美味しく無いと(爆)拒否する

母の1日はウトウトと傾眠状態が続く
いや 体力温存疼痛管理の為に傾眠状態にしているのだ

食事も意識のある時に食べたい物を聞くが 殆ど口にする事は無い
水分も経口から殆ど取れて居ない 湿らせたスポンジで口の中を拭くのが精一杯
完全に脱水症状でもある…

病院に居たら…レントゲンやCT 色々な検査をして居ただろう
在宅医療と言うのは 家から出られなければ検査すら受けられない…

花咲ガンと言われ ココ迄来ると検査すれば血液の状態も悪く
骨移転 たぶん脳にも転移しているだろう

59歳の時に突然倒れ 原因不明のまま意識不明状態が3ヶ月…
意識を戻す為に薬を切れば 原因不明の大発作を起こして
又 薬で強制的に眠らせる

人工呼吸器を付け今後の管理をするか そこまで悩んだのだ

結局 病名としては「晩成期型ミトコンドリア脳筋症」だった

母型遺伝があると言われ 娘を産んで居た私は心底母を恨んだ
ただ…母の「晩成期型」は 幾つに成って発症するか解らない
母の母は 母が二十歳担った時「母の重荷には成りたく無い」と
自死して居るので 母のミトコンドリア脳筋症が遺伝的な物なのか
突然変異として発症したのか…永遠に闇の中なのだ

今では昔程高くは無い料金で自分のDNAが調べられる様に成ったが
未だに怖くて検査は受けて居ない…

母が倒れ 認知面や日常行動に23年…
最初に倒れICUで毎日 どんな状況に成っても命だけは助けて下さい と
祈り続け 何度あの時そんな事を神に祈ったのかと自分を呪った時もあったが

静かな夜…眠って居る母の手を ソッと撫でながら色々な事を思い出していた
こんな時は…看護学校に2年近く行って勉強をして来た事
昔だから働きながら勉強して来た事を 無駄では無いと思いつつ
多分 普通の人なら気が付かない知る由も無い事迄感じ取れてしまう事を…
心の準備が出来て良いと言う捉え方も出来ますが
医師でも看護婦でも無い 娘や家族としての立場であっても
自分一人で背追い込むには大きな その先に見える「未来」を
言葉を選び、相手を選び 伝えて小さな覚悟と言うか未来を
ソッと 周りにショックに成らない程度に 空気を作って行くのだ…

主人に言った…

お父さん夜も寝ずにお母さんの側に居るから 夜は私が実家に泊まって
母の事を見てお父さん休ませてあげたいんだけど…夜家を空けるのはマズイかなぁ…

主人は「いいも悪いも出来るだけの事しなくちゃ ただ自分の体は大丈夫なの?」

大丈夫な訳ある訳が無い ただ…残された時間父がココまで頑張って来た事を無駄にしたくない
そして 心身共に疲れ切って居る父を倒れる前に休ませてあげたい

自分でも後悔しない様 出来る事をしたい…

ネグレクトと言ってもおかしく無い様な育てられ方をして…
其れでもそれを反面教師として 1人の一社会人として成長出来た…
して来た事を感謝する時間を母と過ごしたかったのだ

もう痛みで精神力や体力を削り取られる必要は無い
極力痛み止めを使い 安らかに過せる時間を作り心穏やかに
残りの時間を過ごせる様に 家族との最後の時間を過ごす準備を
して行く…
在宅医療 在宅で最後まで過ごす集大成になるのだ

ココで、申し訳ないとは思ったが 父に何度も念を押して言った

「お母さんの容体や呼吸状態が悪く成っっても119番 救急車だけは呼んじゃダメ! 
 見てて辛いかも知れないけど 訪問医の先生とケースワーカーさんに電話してね
 もちろん 私が席を離れて居たら私にも電話してね」と

時にあるのだ 在宅医療で頑張って来たのに 最後の最後呼吸状態等が悪くなり
怖く成って救急車を呼んで病院に搬送され そこから延命の為に治療が始まってしまい
数日、数ヶ月 最後の時間は増えたが家族にしても本人にしても 
望んで居た結末と違う時間を病院のベットの上 チューブだらけに成って
思いもしなかった最期の時間を迎える事に成ってしまうのだ… 

最後の母のワガママ 病院には行きたく無い自宅で過ごしたい

今は それを叶える為 家族一丸と成って頑張るしか無いのだ