【独特な観点ですね:独自性と闘論】 | 繋ぐ命、育む愛。魂意識革命®︎

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愛と育みと安らぎの居場所の専門家/家族、家系、遺伝的体質、遺伝的運勢、意識と現実化の最高峰メソッド魂意識革命®︎創始者/魂意識革命協会代表/人権力子育て®︎/Polaris Core®︎スキンケア創設者

独特な観点ですね、いつもゆみさんは独特な視点から切り込んでいて新し発見があります。
って人生の中で何度も言われてきたのですが

独特な観点っていうのは
言語としてやはり成立していなくて、

◉視点、観点の別名自体が=独自性

ですよ。

だって、生まれてからこの方
あなたの目が他人の目だったことはありますか?

他人の肉体を通して
世のなかを見渡した事がありますか?

他人の感覚として
感じることが出来たことはありますか?

っていうと「ない」じゃないですか。

ってことは

視点と観点って、
現時点で地球上に存在する
生命体の数だけあることが「普通」なんですね。

だから逆をいうと
なんであなたは独特じゃないんですか?
なんであなたは他人の視点と観点の元に
学んだつもりになっているんですか?

他人が説いている何かの理論があるなら
それをすでに知った時点で

「自分の場合は」っていう観点を
持たないのですか?

ってことを疑問に思ったほうがいいんですね。

今は「多様性の時代」とか言われてますが
私はこれまでの時代だって
「多様じゃない時」など1回もないと思うから

あえて多様性を受け入れようとかも思わないし
最初から多様だから

好きなものは好きだし
嫌いなものは嫌いだし
だから差別するうんぬんじゃなくて

最初から好きと嫌いがあるだけ。

それは好みで、
魂の感覚の事だから、

変えようがないし
それを変えると私じゃなくなるから

だからこれからも
好き嫌いはハッキリ選択していく所存だし、

嫌いだから関わらなかっただけで
とくに攻撃もしていないのに、

「差別だ!」とか言われたら

「私は何も攻撃していないのに、
私の選択を操作しようとする人権侵害だ!」って

堂々と言いますからね。

人は皆、
自分の視点と観点に責任を持つといいです。

自分の視点と観点がある時に
「意見」が生まれます。

「意見」を持ち寄った先にできることが
「闘論」で。

私は「闘論」が好きなのですが、

多くの人は自分の意見がないので
闘論が嫌いだし、

闘論を勘違いしている人が
大多数を占めていて悲しんです。

闘論って、攻撃、戦い、争いとは
真逆の位置にあるものですからね。

意見がある者同士が、
お互いの意志を持ち寄って、

その上で、「よりよく」を
探求するための議論。

これが「闘論」。

私は昔、初めて入った会社の新入社員研修で、
「ディベート」の授業があったのですが、

その時に、先輩社員に対しても
全部論破して1位を獲ったことがあるのですが。

闘論で勝つ時というのは
相手を攻撃して負かせて傷つける
行為ではなくて、

誰よりもぐうの音も出ないくらい
「そうでしかないこと」
「覆せないこと」
「最もその通りであること」
つまり、

誰よりも一番
その時の「よりよい」ものを出せた人が
勝つことになるんですよ。

私は人生において
この世の事について考えないで来た日が
1日もないので、

つまり「わたし」が持ってる

感覚と思考を使わないで来た日が
1日もないので、

だから
誰よりも独自の視点と観点があるように
見えるだけで、

そんなの「あたりまえ」なんですね。

だって私はあなたの
感覚や思考を持つことも
あなたの体内からあなたの世界を観ることが
できないのだから。

だから、

独自の視点や観点をみんなが持って
もっと「闘論」できたら

政治家に任せてどうこうという世界ではなくて
全員の人生から出た知恵を持ち寄って
「よりよく」を研磨して

最高峰をいつでも打ち出す事が
できるのにな、と思っています。

だから子供にも
「あなたはどう思っているの?」
といつも聞いているので、

私に無い視点と観点で
いつも意見を持ち寄ってくれるので

「予想外」の事しかなくて、
最高に面白いんです。

独特じゃない人がいたとしたら
それこそが「社会問題」なんだよ。

というか独自じゃない人がいることが
社会問題の根源でしかないよね。

「自分の意見」がない人は
「同調」しかしなくて

「協調性」がないからね。

同調はアメーバの時代で充分でしょう。

今は人間だから
「自分の考え」を持つ事が

社会の1員としての
「基準」です。

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