【人が死んだ時、なぜ悲しいのか】 | 繋ぐ命、育む愛。魂意識革命®︎

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洗脳の解呪。御霊の権利の観点(ほんとうのこと)で生きる。「人類」の愛と育みと循環の、「完全調和」の世界/魂意識革命®︎/人権力子育て®︎/Polaris Core®︎/創始者・創設者/魂意識革命協会代表

私は祖母がとでも大好きだったので、
祖母が亡くなった時にものすごく泣いたんですよね。

とても涙が出るから
「泣いている」という状態だったんですよね。

でもそれを
「悲しいから泣いてる」のかというと、

悲しいかどうかがわからない事に
お葬式の時に気付いたんですよね。

私はその時に
心が震えて涙が出る原因を
詳細に感じたんですよね。

当時はそれを言語化する所にまで
至っていなかったのですが、

最近の世の中の流れを見て
今こそ必要な時なのだと思ったので、
書いておこうと思いました。

祖母が亡くなった時、
私はそれに立ち会ったんですよね。

厳密には脳梗塞ったのですが、
その後は一命をとりとめて、
しばらうはうつらうつらして、
記憶があいまいで、相変わらず、私がいると
可愛がろうとしてニコニコしていて、

とても可愛いおばあちゃんで、
本当に大好きで。

でも、名前を呼んだり、
自分から色々喋ったりすることはなく。

その後数週間してから、
亡くなったと記憶しています。
93歳?だった気がします。

私は病院のベットにいる祖母にハグをして、
よく頑張ったね、偉かったね、
大好きだよ、また会おうね、
おじいちゃんと会えるから嬉しいね。

といって、見送ったのです。

その時は涙が出ませんでした。

ところがお葬式の時になると、

涙がボロボロ出てきました。

でも、「悲しいのかどうか」は
わからなかったんですね。

それを今、言葉にするとしたら、

大好きだったよ~
大好きだったよ~
大好きだったよ~
これからも大好きだよ~
ありがとう、ありがとう、
もっと一緒にいたかったよ~
かわいいよ~かわいいよ~かわいいよ~
かわいかったよ~
もっと一緒にいたかったよ~
でももう会えないよ~
でも応援もしたいよ~
幸せでいてほしいよ~
かわいかったよ~大好きすぎたよ~
かわいいよ~

っていう感情でした。

間違いなくこれでした。

可愛すぎて愛しすぎて泣いていたんです。
名残惜しいから涙が出たんです。

まさに「卒業式」でした。

今これを書きながらも涙が出るのですが、
やはりそれを言語化すると上記の言葉になるんです。

もしかしたら上記のような言葉を
「悲しい」と言うのかもしれないけれど、

エネルギー的に近い言葉だと、
祖母の時に出た涙は
「うれしい」だったのではないかと思うんです。

なぜそう思うのかというと、
祖父が亡くなった時は違ったからです。

祖父が亡くなった時は、
亡くなる前の病室の時点で、
わんわん涙が出ていました。

わんわん涙は出るけど
声は全く出なくて
とにかく痛くて苦しかったんです。

91歳だった?気がするのですが

病気というよりも、老衰で、
祖父も祖母もほぼ大往生でした。

しかし、祖父の場合は、

「亡くなってもいないうちから
悲しくてたまらない」

祖母の時は私が25歳くらいで、
祖父の時は17歳くらいでしたが
これは現実を受け止められる「年齢の違い」では
ないのだなと、改めて今、そう感じています。

じゃあ、
祖父の時は、病室で声を押し殺して
祖父に見えないようにわんわん泣いたあれは
何だったのかというと、

どうしていなくなるの
まだ祖父の事は全くわからないのに
どうしていなくなるの
もういなくなるの
まだ祖父の事はわからないのに
あれはなんだったの
どうしてそうなったの
何でそうだったの
意味がわからない
わからないよ~
わからないよ~
まだ全然育めていないよ~
まだ全然育めていないよ~
なんにもわからないよ~
この人の事がなんにもわからないよ~
悔しいよ~
悔しいよ~
育めなかったよ~
もう時間がないよ~
時間がないよ~

っていう心の叫びだったと思います。

私と祖父は、
喧嘩にすらならない喧嘩をしていて、
永遠に分かり合えない、理不尽な関係だったので、

最終的に覚えているのも
祖父が書いた悪口ノートを
私が破り捨てたシーンのみ。

私が祖父と育んだのは
何時までだっただろう?と考えると
小学生に入った直後までは、

戦争の話を聞かせてくれたり、
祖母との馴れ初めを聞いて
はにかんでいたり、

そういう可愛い祖父を思い出す事ができるのに、
ある時から急に変わってしまって、

そこからは家族の悪口ノートを書くようになり、
それを私が徹底抗戦する、みたいな
嫌煙の仲になっていました。

私は祖父の事もとても大好きだったのに、
なんであんな事になったのか、
理由も知らなければ、
聞いても教えてくれなかったわけで、

「育めなかったから」「悲しかった」んですね。

まるで戦友が突如いなくなるような
ポッカリと穴が開いたような感じ。

わかりますか?

「大好きだった祖母」の時は
祝福したい気持ちでいっぱいで涙が出て、
何度思い返しても涙が出るけど

やはりその涙はいつでも
祝福と愛しさの涙で、
大好きすぎて可愛すぎて泣けてくる。

というような状態なのです。

これまでのイメージって、
「大好きな人を失ったらポッカリ穴が空く」と
思っていませんでしたか?

私も詳細に言語化するまでは
そんなイメージをどこか持っていた気がします。

しかし、実際は

喧嘩にすらならない喧嘩と攻防を繰り広げていて、
相手がなぜそうするのか
理由がまるでわからない人にたいして

「悲痛」「悲しい」「今でもポッカリ」
「何度考えても釈然としない」

感覚が残っているんですよ。

普通、嫌いな人がいなくなったら
せいせいするはずで、

いなくなってくれたおかげで
もうあの攻防をしなくて済むのだから
平穏が保たれた。という感覚になるなら

まだわかるのに。

じゃあなんでそうなんですか?
なんで「ポッカリ穴が空いた」んですか?

っていうと、

私の中では答えは一つなんです。

なんだと思いますか?

それは、

「育む予定だったのに」
「それができなかったから」
「育む予定のメンバーだから」
「だから最初から家にいる設定で生まれたのに」
「祖父とはそれができなかったから」
「その予定だったのに!!!」
「その予定だったのに!!!」
「悔しい、悲しい、私にはあの祖父と育むスキルがなかったんだ!!」
「私は間に合わなかったんだ!!」
「育む予定のメンバーだったのに!!」

っていう感覚が湧いてきます。

だから、
まだ亡くなってもいないうちから

あんなに声を殺して
わんわん泣いたんだなと、

今ではわかるんですよね。

人が死んで悲しいのは、
「育めなかったから」です。

育む予定だったのに、
それができなかった事が悔やまれるから
悲しいんです。

育む予定で生まれて、
ちゃんと育む事ができたなら、

思い切り愛し、愛され、存在を喜び
存在を愛で、存在してくれている事自体が
奇跡で歓びで在る時。

「大好きだからもっと一緒にいたい」
という想いがあったとしても

完全性を受け入れ、応援すること、
祝福する事、こんなに幸せな体験を
ありがとうと思う事が出来る。

私の身近な人の死は、
人間で言えば、

祖父、祖母、のみですが。

その二人が教えてくれたことが
両極の死だったんですね。

だからさっきは、
上記のように書いたけれど、

祖父の存在の「ぽっかり」は、
私の中の悲痛さのためではなくて、

私が人生の中で答えを出したかった事を
2人が教えてくれたんだと思っているから、

だからそれも完全性と、
無条件の愛の、幸せな体験でしかありません。

ただ、
「それを知るため」だったのだとしても、
やっぱり育みたかった。

もっと「大好き」を伝えたかった。

という事はあります。

後悔ではなく、そうだったらもっと、、、
という「欲求」のレベルで。

私はもう、
この事を知っているので、

祖父や祖母が亡くなるよりずっと前から、
すでに小学生くらいの時から

自分の死にざまは決めていて、
だからそれに見合う生き方を決めていて。

そうなるような選択と行動を
繰り返して生きてきていますが。

でも、祖父と祖母が教えてくれた事と、
今は子供がいる事で、

私の「選択」は、
さらに純度を増したんですよね。

うまくいけば私が先に死ねるわけですから、
その時に、子供に感じてほしいのは、

私が祖母に対して感じたように

どんなに涙が出ても
何年経っても同じくらい涙が出たとしても
どこまで深くその感情を探ったとしても

育んだ事しかないよ~
育まれた事しかないよ~
幸せだよ~
大好きだよ~
一緒にいられてよかったよ~
もっと一緒にいたかったよ~
大好きだからもっと一緒にいたかったよ~
なのに完璧でしかないよ~
一緒にいないことが完璧でしかないよ~
どこまでいっても悲しめないよ~
全然悲しくないよ~
幸せだよ~
幸せでしかなかったよ~

って思ってもらえる事。

すんんんんごい泣いちゃうのに、
いつまででも泣いちゃうのに、

「幸せ」なの。

そういうのをやるんです。

そして、
私の「命」の刻み方は
恐らく皆さんと違います。

「死にざま」は決めているけれど、

それは何十年後の、〇歳になったら、
その頃には、、

なんて思ってないんです。

「今日」だったとしても
そう思ってもらえるレベルで

子供と「毎日」「1秒1秒」を
育んでいるんですよ。

だから娘が夜寝る前に、私に言う言葉が
こうなんです。

「ママ、今日も幸せな一日だったね」
「とってもいい一日だったね、楽しかったな~」
「幸せだね。これがもっと続くといいね。」
「明日は何をしようか、今度は〇〇にも行ってみたいな~」

こういう会話。

娘が生まれてから5年間。

言葉を喋れるようになってから、
毎日寝る前に言う事がこういう事。

そして、起きている時間も、
保育園に行っている時間以外は、

常に愛の言葉を喋っている。

「喋ろうとしている」んじゃなくて
「育んで」いるから、

「口から出る感想」が
いつもそういう言葉になるんです。

人間って、幸せだと
日常で「愛の告白しかしなくなる」んですね。

喋る言葉が全部、

存在を大切に想う言葉
存在に感謝する言葉
存在を慈しむ言葉
存在を称える言葉
存在を楽しむ言葉
存在を喜ぶ言葉
存在と過ごせる時間を奇跡だと思う言葉

人間のコミュニケーションって
本当は「歓びしかなかったんだ」。。。

ってなります。

これが「育み」の「最終形」。

「最終形」だけど、
うちには「いつも」「毎日」「毎瞬」
「在る・有る・ある」んですよ。

いつかの時のためではなく、
今この時に全てを存在させるために

愛する人と「育む」事を
してみてください。

「死にざま」を決めたなら、
その時に「どんな感情を愛する人に残したい」か。

ここも考えてみてください。

すると、自分の生き方、在り方
1分1秒の使い方が変わるでしょう。

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