2日目朝、時間があったので駅近くのコラッセ福島へ行く。
http://www.corasse.com/
一階案内の方に話し掛けると、とても丁寧に長い時間お話を聞かせて下さった。
あることに対し、賛同してくれる人もたくさんいるけれど、それと同じくらい反対の意見が出る。
一つ一つの事に対し、立場によって意見が180°違う事が多く、福島の人はなかなか自分の意見を言う事が出来なくなっているそうだ。
物言わぬ県民性・・・とも言っていた。
誰も答えがわからない。それが現状。
けれど、みんな不安を持ちながらも最善の策を模索しているのだと思った。
県外の方達から頂いた温かい想いや助けて下さった方達、支えて下さった方達への感謝の気持ちをいつか返したいと何度もおっしゃっていました。
コラッセ福島1階にある福島県観光物産館でお土産を買う。
福島から東北本線で郡山へ向かう車内で、一人のお婆さんと合席になった。
その方は浪江町で被災し、今仮設住宅で暮らしているそうだ。
ご主人と避難所へ向かうと、そこには何百人という避難してきた人がいて、その光景を見てご主人は鬱になってしまった。
辛かった避難所生活。
けれど仮設住宅に移ってからの生活も決して良好ではなかった。
仕事を奪われた年配の方達は、毎日時間を持て余し、小さな事でのいさかいが絶えない。
人の悪口ばかり言って神経がささくれ立っていく。
プレハブの家は冬は寒く、夏は暑い。
隣りの声が常に聞こえてくる。
四畳半の部屋に老夫婦が常に顔を付き合わせていると、いつも口論になってしまう。
そしてご主人はアル中になってしまい、今は二つの仮設住宅で別居生活をしているらしい。
時々浪江町に帰るのだけど、野放しになった牛にほとんどの家のバイクが押し潰されていたり、猫がいなくなったせいで、大きく育ったネズミ達が我が物顔で家を走り回り、たくさんの糞で部屋が凄い匂いになってしまっている。
こんな荒れた家では、とても帰れるようになっても住むことは出来ない。
そんな中、知り合いが自殺をしてしまったり、ボケてしまったり。
人は東電から10万円もらって遊んで暮らしていると陰口を言っているけど、お金じゃないんだとおばあさんは言う。
そんな話をずっと聞かせて下さった。
それでも駅でお別れする時、「話が出来て本当に嬉しかった!!」と手を握りとてもにこやかに電車を降りて行かれたのが印象的だった。
瞳硝子