私はサキを間に挟むように席に座った。


「メイです。サキとはバイト先が同じで」

私の視線に気付いてメイが言う


「ヒラヅキです」と返す。


メイはどう考えてもサキとは違う感じがした。

服装もそうだ。紺のロングスカートにシャツを重ね着した服装で、いかにも真面目といった印象であった。しかし、地味ではない。肩までかかった髪は、シャンプーのCMかと思うくらいきれいであった。メイクもナチュラルメイクで嫌味が無い。匂いは……どうだろうか。


昔から人を匂いで覚える癖がある。

そのせいか、なかなか昔の彼女を忘れる事ができない。

常にその人を想っている訳ではない。しかし、街で同じ匂いがしたりすると、急に全てを思い出し、振り返る。

しかし、私が求めている人はそこにいず、誰からその匂いがしたのかもわからないのだ。


脳の中で、匂いを担当している場所と記憶を担当している場所が近いのよ、昔に付き合った女がそんな事を言っていたのを思い出した。


「とりあえず、生中」

私の注文を聞きたいが、泣くサキを見て、聞くに聞けない店員に言う。


メイが撫でているサキの頭に自分も手を置き、ポンポンと頭を触る。

メイの小指と私の小指が一瞬当たって、メイは自然に、しかし急いで手を引いた。右手であったが薬指に光るものがあって、彼氏の存在を匂わせた。


「ツキさん、、、私だめだよ、、、、、、、、、、、ナオヤの為に頑張ったのに、、ナオヤ、、、好きじゃなくなったって」

サキは泣きながら言う。


「どれくらい付き合ってたんだ?」と聞くと、10日と答えた。

メイも一瞬、びっくりしたような表情をした。この悲しみようで10日とは思っていなかったようだ。

私も、それは好きじゃなくなったというよりは、初めから好きではなかったという表現が正しいのではないだろうかと思ったがあえて言わない。もう十分傷ついてる人間を更に傷つけることは無い。


そうか、つらいな。そう言って頭を撫でる。


「すごい頑張ったのになんでだろう?なんで好きじゃなくなるんだろう?」

更に声を震わせてサキは言った。


「う~ん、お前、小さいとき好きだったのに、今、そんなに好きじゃない食べ物ってある?」


私の発言が意外すぎて、サキもメイもかなりびっくりしたようだ。サキなんて泣くのを忘れている。


サキはキョトンとして言う。

「う、うん。昔はりんご好きだったけど、今はそんなに……」「おっけー」

サキにかぶせる様に言う。


「じゃー、なんでリンゴの事好きじゃなくなったんだ?」


「え、わかんないけど。。。」


サキはまだきょとんとしてるが、メイは私の言わんとする事がわかっているらしい。頭の回転は速い子のようだ。


私は続ける。

「そう、わかんないもんなんだよ。好きじゃなくなるって。理由があるときもあるし、無い時もある。お前がリンゴをなんでかわかんないけど、好きじゃなくなったみたいに、ナオヤさんだっけ?その人がお前を好きじゃなくなったのも何でかわかんないんだよ。足りないのは可愛さでも、努力でもないよ。縁だよ。」


そして少し間をおいて言う。


「みんな悲しいよ、別れるのは」


最後は自分に言ったのか、サキに言ったのか自分にもわからなかった。




沢山泣いたのが良かったのか、私の励ましが良かったのか、サキは元気を取り戻してきたようで、店を出る頃には笑顔も見えた。ま、いつもの事なのだが。


店を出ると、メイだけが帰る方向が反対ということだった。


「送ろうか?」そう言うと

「あ、大丈夫です、明るい道だから」と言った。

遠慮したというよりは、本当に不要という感じの断り方だった。


気を付けてね、という言葉に、軽く会釈して、メイは身を返した。

私たちに背を向けてすぐに持っていた小さなカバンにもっと小さな手を入れた。


彼氏に電話でもするのだろうか。


不意に、Tシャツの裾をサキが引っ張る。

うつむき気味なのにしっかり私の目を見ていて、左手は体の横で強く握っている。


「……帰るの、、、、、、寂しい、、、、、、、、、、、」


これもいつもの事だ。


それがいい事なのか、悪い事なのか、考えた事は無い。


サキは寂しいだけだと知っている。

私の事など求めていないと知っている。


しかし、それでサキの傷が癒されるならそれはそれでいい。


シャツを握った手を持って体を引き寄せると、サキは大人しく身を寄せて、私の背中に腕を軽く回した。


サキの顔が胸に押し付けられ、何か冷たいもので私のシャツが濡れる。



こいつは今、誰に抱かれているのだろうか。

もともと争い事を好まない性格のせいか、大学卒業まで続いた就職戦争には一度も参戦する事なく大学から飛び立った。いや、追い出された。

勉強ができるわけでも、スポーツが得意なわけでもなかったが、人とのコミュニケーション能力には長けていて友人は多い方であった。その友人の紹介で深夜のコンビニでバイトを始めた。

都心から離れたこの場所で夜中にコンビニを利用する人など本当に限られていて、商品の陳列さえ終わればスタッフルームにこもって携帯をいじっていた。

幸い、夜中でも相手には困らなかった。有りがちな恋の相談を何人も同時にする。

世の中の女が相談する場合、9割は合意か同情を求めている。それ以外は黙って聞いていればそれで満足している。

180cmある身長ではスタッフルームは些か窮屈で背中を丸めるように座っていた。

携帯の画面に自分の顔が反射していて何とも言えないような気分になる。

何やってんだろ。

大学を卒業してから3ヶ月。毎日のように口にした台詞をまた心の中で唱える。

何かをごまかすように髪をくしゃくしゃといじると、伸びすぎていて鼻の頭にまでかかった。いつものように横に流す。

ため息をつきながらうつむくと、ヨレヨレの長袖から痩せた手が見え、その先にダメージを受けすぎたダメージジーンズが今にも倒れそうに私に纏われている。

ジーンズの穴から足を触るとわずかな体温を感じて自分だとわかる。

プルルルル…

有りがちな着信音。

「ねぇ、ツキさん。ナオヤと別れちゃったよ。私やだよ、寂しいよ。どうすればいい?会って話聞いてほしい」

ほら、今宵のお客様だ。


電話は、サキという一つ年下の女だった。所謂、Bガールというやつで連夜クラブに通っては、軽い男と付き合っては別れる女だ。

一人で恋愛してるぶんには結構だが、フラれる度に大騒ぎする。

偶然、電話があった次の日はバイトがオフだったので家のそばの居酒屋で会う事にした。

夕方の18時に起きて、出かける準備をする。と言っても携帯と財布をポケットに入れるだけだが。

鏡を見て、中途半端に長くなったヒゲを見て一瞬、風呂に入ってから行こうか考えたがサキに気を使う気分にもなれずそのまま家を出る事にした。


居酒屋につくとカウンターにサキがいた。いつものように挑発的なホットパンツにぴったりしたシャツ、馬鹿みたいに大きなピアス。髪の毛は珍しくおろしていて、その髪を隣から撫でている女がいた。

それがメイとの出会いだった。

君がいなくなって、何が変わったかと聞かれれば何も変わらないと答えるだろう。


いつもと同じようにバイトに出かけ、いつもと同じ時間に帰宅する。


ただそのどこにも君がいないだけ。


君の髪を撫でていた時間が、君を抱いていた時間が、君を見ていた時間が、君と電話していた時間が、君と口づけていた時間が、空白となって僕の前に転がっているだけ。


最後に見た君は後姿で、いつもと変わらないで街の中に消えていった。頼むから振り返って寂しそうな顔をしてみろ、そう言っただけで君は恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。その顔が好きだった。


君は僕の全てで、僕は君の全てだと思っていた。


なのに。


夜中に突然メールで伝えられたサヨナラは、現実ではないような気がした。夢だと思った。寝て起きたら、怖い夢を見たと君に電話しようと思った。


でも、そのまま寝ることはなく朝が来たという事はどうやら夢ではないのだろう。


果たせなかった約束だけが心に山積みになっていて、僕はその中に倒れこむように寝転がる。


もしこれが現実ならもう二度と目覚めなくていい。

もしこれが夢なら一刻も早く目覚めてほしい。


きっとどちらも叶うことはないのだけれど。