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こんにちは。

やっと金曜日。うれしい金曜日のはずが。私は今年に入ってから、ずーっと週末恐怖症。旦那がどんな行動に出るかも心配だし、私1人で週末の子供たちを満足させれるか不安。心配だけど…。今日も頑張っていこう。

 

昨日の夜。寝室で自分のブログをサラサラ見てたけど。本当に負のブログ。笑 旦那も本当にナップンノムになっちゃってる。←実際そうだけど。

 

でも…。きっと今までの我慢だったり、全部が溢れちゃって。こんな風になっちゃったんだと思う(浮気は余計だったけど)

 

旦那と私。出会ったのは、本当に昔で。昔の出来事を書いてみると、当時私は、大学の時に機会があって1年間留学をして、長年の夢だった教員になるという夢から、あっという間に外国で日本語教師になることが夢になってしまっていた。親の反対もあり、大学卒業後は泣く泣く都市銀で働くことになり、悶々とした生活を送っていた。その当初も、諦めきれず、働きながら、中国・韓国に日本語教師の履歴書を送っていて。それで採用されたのが韓国の語学院。そこで、今の旦那と会った。初めは所謂、先生と生徒。の関係だった。

 

 

いつも友達と2人で授業に来ていて、先生!ってジュースを毎回授業前にくれた。いつも、旦那じゃないもう1人の人が渡してくれてたから、ずっとその人にお礼を言っていたけど、実際に買っていたのは旦那。それをずっとあとに知って、謙虚な奴だなって思って好感を持った。

 

実際、語学院って、思っていたよりもすごくハードで、1年ぐらいで割に合わないなと思い退職した。韓国の語学院って、朝授業を受ける人がいっぱいいて、早朝の授業と夜の授業が主な授業で。授業がない時間も、授業の準備やら、教材を作ったりと、朝から晩まで頭の中は授業の事でいっぱいだし、やることもわんさかある。今思えば、もう少しちゃんと続けられたら違った形が見えたかもだけど…。その時は、そこまで考えられなかった。

 

でも、そこであった学生や旦那も含めて、忘れられない出会いもあったし、銀行を辞めて、韓国に行って日本語教師をやったことに後悔はない。その後、今の旦那と付き合うことになり、約5年韓国で交際をした。

 

 

付き合い始めたときは、旦那は、私と早く結婚して日本に住みたいと言っていた。その時は、ご両親も元気だったし、特にお母さんにも早く結婚して日本に息子を連れて行ってくれ!って言われた。私はというと…。韓国が楽しい!最高!!やっほー!水曜日はレディースデー、週末は梨泰院だぁ!狎鷗亭だ!!って思ってた時期だったから、一切結婚を意識せず。そのころに、日本に帰って、生活してたらもっと違っていたかもな…って思ったりする。

 

旦那は、本当に優しい人だったし、頼りになった。旦那は、ご両親が昔、事業をやっていて、家にお手伝いさんがいるぐらい裕福な時と、失敗してどん底になった時も経験している。私みたいな両親共働きの一般家庭で育った感じとは全く違った。どちらかというと暗い部分もあり、妙にそこにも惹かれた。(自分が完全に陽キャラだからかもしれない)

 

何となく、何があっても、旦那がいればどうにかなるって思ったし、実際に日本語教員を辞めてから、自分で事業をすることになるんだけど、その時の不安だったり、ストレスを横でいつも励ましてくれて、ケンチャナケンチャナって言ってくれたのは旦那だった。ケンチャナじゃねーって、もしかしたら旦那も思ってたかもしれないけど、私の前ではいつもそう言ってくれた。

 

旦那は、付き合った当初にこれ好き!っていったコーヒー牛乳を馬鹿の一つ覚えみたいに毎日買ってきてくれた。ほぼ365日、どんなに忙しくても会いに来て、私が眠くなるまで一緒にいて、その姿をみて家に帰って行った(もちろん、泊まった日もあるよ 笑)

 

自分の事業の関係で、ウォンを使って円で受け取っていたから、大量に商品が売れて手元のウォンがなくなりそうになって、節約するんだ!って言ったら、クレジットカードを私に毎日好きに使っていいよ!ってくれたり、事業のストレスで、もやもやしてたら気晴らしに大学の語学堂で韓国語勉強してきたら?と学費を出してくれたりした。決して、裕福な人じゃなかったケド、お金も惜しまず使ってくれたし、私の為に色々尽くしてくれる人だった。←今考えるとまた泣けるな…。そんな人だったんだった!

 

 

じゃあ、年も取ってきて、結婚どうする?ってなったころには、旦那の両親は他界してしまっていて、旦那の家族はオッパと二人きり。オッパを置いて日本には行けないから韓国に住んでほしいと懇願された。遊びに浮かれて、完璧に私は、結婚のベストタイミングを失ってしまった。その時、真剣に韓国に住むことも考えたケド…。日本にいる家族。老後。色々なことを考えるとどうしても韓国で結婚することに踏み切れなかった。

 

それで、話し合いも平行線のまま、結論も出せずに、一人で日本行きのチケットを買い、オフィステルの解約日を決定し、旦那に告げた。きっと、裏切られたと思っただろう。でも、自分も別れられずに、遠距離をした。帰ってからの就職先で、月に1回韓国出張もあったし、全く不便なことはなかったし、むしろ充実していた。

 

そんな中で発覚した私の妊娠。旦那だって、戸惑っただろうし、逃げたかったかもしれない。でも、最終的にはあんなに結論をだせなかった日本に来てくれる形になった。私はというと、飲み会の日に、酔った勢いで検査したから、衝撃的だったけど、その時点で旦那が来る来ないは別にしても産む覚悟があった。

 

 

ダメダメな嫌な奴になったのは、本当にここ最近で。2人目が生まれて、実家に帰ったあたりからさらに頑固になり、徐々に積み重なってここまで来てしまったのかもしれない。もっと旦那の気持ちに寄り添って、励ますだけじゃなくて、一緒に悲しんだり、共感するべきだった。それができなかった私にも、大いに原因があって。これからの自分の人生。独りよがりにならずに、もっと考えて生きていくことが大切だって思ってる。

 

昨日の夜。旦那はまた早く帰ってきていた。昨日も置いて置いたご飯を食べずに、グラノーラを食べていた。朝、ゴミ箱をふと見ると、値引きシールがはってある菓子パンの袋が捨ててあった。なんだろ。この感情。心がぎゅーっと締め付けられた。自分もこうやって黙って避けているのが正解なんだろうか。それとも、旦那の背中を押してあげたほうがいいのだろうか。本当にわからない…