こんにちは。

謝憐のここも素敵ってところを書きます。

(台湾版5巻までのネタバレしながらの感想です)



謝憐て優しいですよね✨

誰にでも優しいなこの人って思うけど、

ずっと読んでて感じたのは、

きっと、相手をありのまま感じることができる

からなのかなって思いました。


●謝憐には偏見がない

サンランの時が一番わかりやすいのですが、

彼の正体が絶境鬼王だとわかっても、

何にも対応が変わりませんでした。


サンランと一緒に過ごして感じたことだけを

謝憐は信じますおねがい


●謝憐は相手を認める

鬼市で地師を捜査するとき、風師が花城に

会いに来たと嘘を言って潜入すればいいと

謝憐に言うシーン。

千秋が「たとえ鬼でも友と思ってる花城を

裏切ってはいけない」と言って、風師を

呆れさせます。

でも、謝憐は「殿下、素晴らしい」と言ってから、

自分の意見を述べました。


●そのままでいいんだよ

3巻で出ててくる、謝憐が花城に言う言葉。

「重要なのは『君』であって、

『どういう』君なのかじゃない」


謝憐は花城の優れた能力や美しさには

感嘆しているものの、そこだけが

好きなんじゃなくて、

存在そのものが好きなんだなっておねがい



謝憐て、その人の存在そのものを認めてる

んだなって感じるんです。

それは花城に対してだけじゃなくて、

出会う人すべてに照れ


そして、自分に対しても、ありのまま

なんだなって。


ちょっと自己卑下しちゃう時はあるけど、

がらくた太子とか呼ばれても気にしないし、

3度飛昇って実はすごい実力者だと思うの 

ですが、そんなことどうでもいいって感じ。


自分が何であるかということも、

あんまり関係がない感じがします。

飾らないというか。


じゃないと、道観を建てて、自分を祀って

自分で信者を集めようなんて思わない 

ですよね(笑)


「⚪︎⚪︎だから、⚪︎⚪︎なのに」という思いは

相手も自分も苦しめちゃうなって。


「仙楽太子なのに」「神官なのに」

という思いが民衆にはあるから(当たり前だけど)、国が滅亡した後、謝憐に幻滅して

離れていきます。


人は勝手に期待したり、思い込んだりして、

それが違えば怒ったり、責めたりするもん

ですよね。


でもありのままだったら、相手も

自分自身も幸せになることができるんじゃ

ないかな。

なかなか難しいんだけど💦


謝憐もだけど、花城もそんな感じだなって。

お互いどんな姿でも受け入れて認めてるなって。


謝憐は自国が滅亡して辛い過去があるし、 

「みっともなくてどうしようもない」と

感じる過去もあります。


花城も貧しい子供時代は忘れたいし、

鬼王だから、それなりにえぐいことも

やってきたんだと思います。


だけど、やってきたことの良し悪しを

ジャッジして、その人が自分にとってどうかと

いうことを決めるんじゃなくて、

今存在してることにお互いが敬う気持ちを

持ってるんだなっておねがい


どちらも才能が豊かですごいけど、

ただ存在している素晴らしさを感じることが

できる。

そこが本当に素敵だなって思うんです照れ