聖書のレビ記を読んだことがある方なら、
あまりの血なまぐさい記述に驚いたことがあるのではないでしょうか?
1章のはじめから、動物を生け贄として屠る(ほふる)ことが書かれています。
「主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。
『イスラエル人に告げて言え。
もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、
だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。
もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、
傷のない雄牛をささげなければならない。
それを、彼が主の前に受けいれられるために
会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。
その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。
それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。
その若い牛は、主の前でほふり、
祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、
会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。』」
(聖書・レビ記1:1~5)
また、動物の体の臓器を取り分け、祭壇に捧げるべきことが書かれています。
「 祭司であるアロンの子らは、
その切り分けた部分と、頭と、脂肪とを
祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい。
内臓と足は、水で洗わなければならない。
祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。
これは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」
(聖書・レビ記1:8,9)
動物愛護者の方なら、動物虐待だと言い、
無宗教者の方なら、カルト宗教だと感じるかもしれません。
「次に、彼はもう一頭の雄羊、すなわち任職の雄羊を連れ出した。
アロンとその子らはその雄羊の頭の上に手を置いた。
こうしてそれはほふられた。
モーセはその血を取り、
それをアロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗った。
さらに、モーセはアロンの子らを近づかせ、
その血を彼らの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗り、
モーセはその血の残りを祭壇の回りに注ぎかけた。」
(聖書・レビ記8:22~24)
これらの出来事は、現代に生きる私たちにとって、何の意味があるのでしょうか?
古代イスラエルの歴史は、現代の日本に生きる私たちにとって、どんな関係があるのでしょうか?
実は、旧約聖書の生け贄は、イエス・キリストを象徴しています。
旧約聖書の時代に行われていた祭儀は、
イエス・キリストの十字架の贖いを前もって教えるためのものでした。
新約聖書では、次のように解き明かされています。
「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、
手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、
さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
また、やぎと子牛との血によってではなく、
ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、
永遠の贖いを成し遂げられたのです。
もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、
それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
まして、キリストが傷のないご自身を、
とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、
どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離させ、
生ける神に仕える者とすることでしょう。」
(聖書・ヘブル9:11~14)
人間の罪の身代わりとして、動物を屠ること。
生け贄を引き裂くこと。
その血を注ぎかけること。
すべては、イエス・キリストが神さまの小羊として天からこの地上にこられ、
私たちの罪の身代わりに刑罰を受け、十字架の上に磔にされることを示すためでした。
動物を殺し、引き裂いて、生け贄にすることは、残酷だと思うかもしれません。
レビ記だけを読んだら、
聖書を信じているユダヤ教やキリスト教は、
なんて残酷な宗教だと思われるかもしれません。
しかしながら、その残酷なまでの生け贄に、
神さまの御子、イエス・キリストご自身がなられました。
イエスさまが流された血を、自分の罪の赦しのためとして、
イエスさまが引き裂かれた体を、自分の救いのためとして、
信じることにより、私たちは神さまとの関係を回復することができます。
「イエスは彼らに言われた。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。
人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、
あなたがたのうちに、いのちはありません。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
わたしの肉はまことの食物、
わたしの血はまことの飲み物だからです。』」
(聖書・ヨハネ6:53~55)
この救いを、この十字架の愛を、
あなたは信じますか?
「神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
(聖書・ヨハネ3:16)
神さまの愛と救いを、共に喜び、祝っていきましょう!
→ 神愛エクレシア イエス・キリストは神の愛
God loves you.☆