お祈りしても、すぐに癒されないことがあるのはなぜでしょうか?
祈っても、はっきりと目に見えて癒されないと、落ち込んでしまい、
「私は神さまから見放されているんだろうか・・・」と思ってしまうことは
あると思います。
あるいは、「神さまなんていない」と言って、無神論者になってしまうかもしれません。
聖書には、次のような神さまの御ことばがあります。
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの罪が
御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」
(イザヤ59:1,2)
神さまによる癒しを妨げているのは、私たち自身の罪です。
罪と言ったら、法律的な罪を思い浮かべてしまうかもしれません。
だから、「私は法律に違反するようなことをしていないから関係ない」と思う方もおられると思います。
しかし、聖書で言う「罪」とは、神さまの御心から外れていることです。
「自分は神さまと同じくらい聖い存在だ」と、胸を張って言える方がどれほどおられるでしょうか?
私はとても、自分は神さまの御前に聖い存在だというのは
恐れ多いです。
むしろ、神さまの聖なる臨在の前では、
自分の罪深さに申し訳ない気持ちになることが多いです。
神さまの御前に聖くない部分をきよめるためにこそ、
イエス・キリストは十字架の上に身を捧げられました。
イエスさまが流された尊い血潮、
イエスさまが鞭打たれ、引き裂かれた御体のゆえに、
私たちは聖められると聖書は教えています。
「そして自分から十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
(Ⅰペテロ2:24)
自分ではどうしようもできない病や悪習慣などによって
苦しんでいる方はおられるでしょうか?
神さまの御前に、自分の罪深い行い、的外れな思いを言い表し、
悔い改めの時を持ちましょう。
聖書に、次のような約束があります。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
(Ⅰヨハネ1:9)
癒しが必要な方には、無償でご協力させていただきますので、
下記のアドレスにメッセージを下さい。
→ thy-kingdom-come@softbank.ne.jp
病気や悪習慣からの解放のために祈り、癒されていきましょう!
God loves you.☆