癒しの阻害要因を排除する | 十字架の愛 ~イエス・キリスト~ | 聖書・教会

十字架の愛 ~イエス・キリスト~ | 聖書・教会

聖書を通して示される、
創造主なる神さまの愛と救いをお伝えします!
God loves you.☆

イエス・キリストは神さまの愛
東京で聖書を学ぶ教会「神愛エクレシア」

お祈りしても、すぐに癒されないことがあるのはなぜでしょうか?


祈っても、はっきりと目に見えて癒されないと、落ち込んでしまい、
「私は神さまから見放されているんだろうか・・・」と思ってしまうことは
あると思います。

あるいは、「神さまなんていない」と言って、無神論者になってしまうかもしれません。


聖書には、次のような神さまの御ことばがあります。


「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。

あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの罪が
御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」

                     (イザヤ59:1,2)


神さまによる癒しを妨げているのは、私たち自身の罪です。

罪と言ったら、法律的な罪を思い浮かべてしまうかもしれません。

だから、「私は法律に違反するようなことをしていないから関係ない」と思う方もおられると思います。


しかし、聖書で言う「罪」とは、神さまの御心から外れていることです。

「自分は神さまと同じくらい聖い存在だ」と、胸を張って言える方がどれほどおられるでしょうか?

私はとても、自分は神さまの御前に聖い存在だというのは
恐れ多いです。

むしろ、神さまの聖なる臨在の前では、
自分の罪深さに申し訳ない気持ちになることが多いです。


神さまの御前に聖くない部分をきよめるためにこそ、

イエス・キリストは十字架の上に身を捧げられました。


イエスさまが流された尊い血潮、

イエスさまが鞭打たれ、引き裂かれた御体のゆえに、

私たちは聖められると聖書は教えています。


「そして自分から十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われました。

それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。

キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」


                        (Ⅰペテロ2:24)



自分ではどうしようもできない病や悪習慣などによって
苦しんでいる方はおられるでしょうか?

神さまの御前に、自分の罪深い行い、的外れな思いを言い表し、
悔い改めの時を持ちましょう。


聖書に、次のような約束があります。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、

神は真実で正しい方ですから、

その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」


                        (Ⅰヨハネ1:9)


癒しが必要な方には、無償でご協力させていただきますので、

下記のアドレスにメッセージを下さい。

→ thy-kingdom-come@softbank.ne.jp



病気や悪習慣からの解放のために祈り、癒されていきましょう!


God loves you.☆