あと2話です。

妄想物語後輩編8話。


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「ちょっと…ごめん」


携帯を握り締め席を立つと、ベランダ付近に移動する。

窓に映った向井くんは私を見ていた。


「…もしもし」

『もしもし』


少しくぐもった、低い声。

あれからたった一週間、それに会社でも顔を合わせているというのに、なぜだかすごく懐かしかった。


「どうしたの?」


沈黙が続く。

ガヤガヤとうるさい後ろの音で私は彼がどこにいるのか分かった。

彼がよく行く居酒屋。

バックで流れる音楽に特徴がある店だ。

彼がそこに行くのは、たいてい嫌なことがあったとき。

そして決まって私に電話をしてくる。


なにか、あったのだろうか。


もう別れた人だというのに。

たくさん泣いたあの夜にすべておいてきたつもりだったのに。

彼を心配している、私がいた。


『いや、なんでもない。ごめんな』


「あ…」


私が何か言葉を発する前に、電話は切れてしまった。

心臓の鼓動が早くなる。


「先輩…」


振り返るとそこには、心配そうに私を見る向井くんがいた。


「向井くん…ごめん、私」


「行かないでください!」


私が最後まで言い終わる前に、向井くんは強い口調で言った。

そして、もう一度、今度は言い聞かせるように。


「行かないでください」


向井くんがまっすぐに私を見る。


「俺は、先輩が傷つく姿なんて見たくないんです」


わかっている。

ここで私が彼の元へ行ったところでどうしようもないこと。

行く必要なんて、これっぽっちもないこと。



それでも、行きたかった。



「ごめん」


短く言って、足早に向井くんの脇を通り過ぎようとしたとき、横から腕をつかまれた。

そのまま後ろから抱きしめられる。


「好きです。俺、先輩が好きです。ずっと先輩を見てました」


向井くんの鼓動が直に伝わってくる。


「先輩が幸せになってくれるなら、俺はそれでよかった。でも今は違う。俺は先輩を、守りたいんです」


なんと言っていいか、わからなかった。

ただ、今ここで向井くんの思いを受け入れることは、私にはできなかった。


「ごめん」


向井くんの腕を振りほどき、逃げるようにしてそこを去った。

向井くんの自転車の後ろに乗ってきた道を、今度は思い切り走った。


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続く。