7月7日 | Michael Jackson を語らせて!

7月7日




6月、熱く駆け巡ったMichaelへの愛が、夏の暑さへと変わる7月。
今朝、ふいに猛烈な切なさに襲われ涙が止まらなくなる。

あぁ…そうか…
今日は7月7日。










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世界中のたくさんの国で彼が訪問した病院に入院していたたくさんの子ども達が
彼の心からのプレゼントや、もらったコンサートのチケットに励まされ
それが彼らの回復の手助けをしたのだろうということに私はひとつの疑いももっていません。
それを語らずに、たくさんのものを与え、
音楽を通して世界中のたくさんの人に幸せを与えてくれた人について
何を語れるのでしょう。

命ある限り、あの日のことを決して忘れないでしょう。
小児科病棟に入院している子どもたち全員に惜しみなく与えるための
あり余るほどのぬいぐるみとともにマイケルはやって来て
病室内の子ども達ひとりひとりに、やさしく励ましの言葉をかけました。
あの日あの場所にいた子ども達、子ども達の親達、
メディカル・スタッフの喜びに満ちた顔を決して忘れません。

今、息子は大きくなり、世界中にこの写真をシェアしたいと思います。
マイケルが無私無欲で寛大な人だったということを証明するものだからです。
その週、私の息子は学校での事故で、悲しいことに片目を失いました。
ご想像の通り、それは家族にとって大変な悲劇ことでした。
でも、あの日彼は、私たちみんなに
瞬間的な喜びと持続的な喜び、そしてたくさんの幸せを与えてくれました。
マイケル、あなたは今、天使とともにあるのでしょうね。
あなたの魂に神のご加護を…そして安らかに。
あなたは私たちの心の中で永遠に生き続けます。
素晴らしい音楽をありがとう。

-Natasha Lang











娘、アンジェリカは交通事故で頭にけがを負い入院していました。
ある日、マイケル・ジャクソンがやって来ると看護師に言われました。
私たちはそれを内緒にしていたので、病院はファンであふれかえることはありませんでした。
彼のアシスタントが病室のみんなにTシャツやサイン入りのBadのCDを配ると
大騒ぎになりました。
そして彼は病室の患者たちをまわり、話しかけました。
私は彼に“こんにちは”と言いました。
彼は、お会いできて嬉しいです、と言ってくれました。
私は本当にビックリしました。
彼はとてもやさしくて、恥ずかしがり屋のように見えました。
彼は子ども達、特に傷ついた子ども達に対して深い愛情を持っていました。
そして、じゃがみこみ、“こんにちは、アンジェリカ”と話しかけました。
娘は昏睡状態から目覚めたばかりだったので話すことができませんでしたが
笑顔になりました。
その日から、娘は回復し始めました。
彼は刺激を与える人なんだと思います。
私たちは辛い時を過ごしていました。
アンジェリカが入院し、私も気を張っていました。
でも、彼は病室中に刺激を与えました。
私は“神さま、彼を送ってくださってありがとうございます”と思いました。
今、アンジェリカは25歳になり、大学に元気に通っています。
彼の大ファンだった病室の男の子も、彼に会った後回復し始めました。
彼の母親は奇跡だと言っていました。
彼に会った後回復し始めた子ども達はたくさんいると思います。
こういうマイケルを、みんな知るべきだと思います。
彼が“いい人”という言葉ではほど足りない人だとは思ったこともありませんでした。

-Helen Darlington








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1987年、オーストラリアの子ども病院。

























これまでもここにたくさん綴って来たけれど
Michaelはどれほどの子ども達に命の輝きを与えたのだろう。
子ども達は地球の未来なら、それは地球の未来に輝きを与えたとも言えるのだろう。


そして…あなたは
多くの人の心の中にいる“満たされない子ども”をも癒してくれているよ。


7回目の、約束の7月。
もしかしたら6月よりも切ない7月だけど。
オイラたちの“彦星”、今宵はみんなの夢の中に現れてね(*u人u*)













☆We love Michael forever☆
ばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばら