祖母の私達への虐待は
止まる事なく続いた


そんな中
姉が虐待を受けていた時の事
姉はもう5年生も終わりに近づき
3学期も中盤に入っていた

リビングのテーブルの上に
置かれた
見慣れない冊子
表紙には
雪化粧の山の写真に
「白峰村」と書かれていた




私はその時
通常の生活をしていた
何やら
母と祖母がバタバタとしている
そんな雰囲気が
何もわからない私にも
伝わってきた

3月中旬
春休みに入ってすぐ

突然泊まりで出かけると
言われ

たしか
母に連れられて
姉と私と祖母と
4人で電車に乗った




かなり長い時間
電車に揺られ
電車を降りてからも
またバスに乗り
どんどん人気の少ない
所に進んでいく

バスを降りたのは
まだまだ雪が残る
小さな村だった

姉と母と私
3人で
寮のような
民宿のような
建物に入った

そこには
私や姉ぐらいの
年齢の子どもが
数人いた




そして
しばらく
その建物の中や
部屋を見てまわり
姉を残して
私と母だけが
そこを出た

けれど
私はこの時点でも
まだ何もわかっていなかった
私からは何も聞けなかった

その夜
私達は
宿に泊まり
晩ごはんを食べている時に
初めて聞かされた

姉が1年間
ここで生活をする事を
1年間は
家に帰ってこない事を。。。

でも
私はそれを聞いて
少し安心した
幼いながらに
姉が祖母から
離れる事ができた事
離れている間は
虐待を受けずにすむ事

私はここから先
姉と3年間
会える事がなかった


再会した時に
白峰村の話をしてくれた

白峰村の山村留学
そこで過ごした
1年は
姉にとって
とても良い1年だったのが
話を聞いていて伝わってきた

山や川
自然に囲まれて
寮の先生達も
とてもよくしてくれこと
冬には雪が積もって
毎日のように
スキーをしたこと




きっと
姉は
父と母が
離婚をしてから
この時初めて
1人の人として
ちゃんと生活ができた
1年だったのだと思う

姉は
大人になってからも
度々白峰村の先生に
会いたいと口にしていた


祖母はというと
姉が言うことを聞かず
手に負えなくなって
山村留学に行かせたと
親戚や私にまで
そう言っていた