母が亡くなってから間もなく3ヶ月が経ちます。

今日、お仏壇の燭台を新しく買ってきました。

そこに灯した小さなろうそくの光がとても清々しいです。

 

私が仏壇に手を合わせるようになったのは、

飼っていた猫やうさぎ、ハムスターが、

次々と命を終えていく中でのことでした。

見送った当初は、悲しみの中、

命を助けてあげられなかったことを後悔し、ひたすら謝っていました。

そしてだんだん悲しいながらも、

「出来ることは精一杯やった」と自分を許してやれるようになった後に、

手を合わせながら自分なりに念じていたことは、

「ビリーちゃん、あかちゃん、うーちゃん、雪ちゃん、モカちゃん。

 ハムちゃんたち。

 それから、もしかしてそっちに行っちゃってたら、

 しゅんちゃん、姫ちゃん、マリーちゃん。

 そしてご先祖様たち。(←人間は後です・笑)

 元気で楽しく暮らしていますか?

 私も毎日一生懸命生きています。

 きれいな心で生きていきたいけど、難しいです。

 でも頑張ります。

 どうか、弱い者(老親と今いる猫)、幼い者(孫)たちを見守って下さい。

 よろしくお願いします。」

・・・・こんな風に念じていました。

宗教心というよりも、先に死んでしまったみんなへの語りかけ?

 

母が亡くなってからは、

もっと丁寧にお花を飾ったりお線香をあげたりしていますが、

前ほど語りかけながら手を合わすことはしなくなりました。

じゃあ何を考えているかというと、何にも考えていませんね・・・・

いうなれば、無心で目を閉じているだけ。

みんないい場所に行っていることは間違いないし・・・・

生きてる者は一生懸命生きて、終わりが来ればそこへ行くんだもの。

さして心配事がなくなっています。

何故でしょう。

それは多分、仏教をほんの少し学んだおかげかと私は思っています。

母が亡くなってすぐに、お葬式をあげるためにうちの宗派を調べました。

それすら知らなかったんですよね。

浄土真宗本願寺派、と父から教わり、

お焼香の仕方やいろいろ知っておくため少しだけ検索しました。

そこで「あれっ?」と思うこの宗派の考え方を知り、

これまで宗教嫌いだったこの私が、不思議とすんなり受け入れられたのです。

無論だからと云って、実母をなくした悲しみがなくなる訳じゃないし、

「大事な愛猫を病気にしてしまったダメな飼い主」

「長年親に冷たくしてきた鬼のような娘」であることも変わらない。

でもそんな私でも、自分を憎みすぎなくて済む方法。

それが目の前に現れてくれた・・・・

 

 

でもね、あまり宗教っぽいことを書くのもためらいがあるんですね、まだ。

だからこれくらいにします。

母の死の数日後、一度だけ怖い悪夢を見ました。

内容はもう覚えていないんだけど、

(親が死んだんだ、悪夢くらいみるよな。)と思ったのは覚えています。

 

今月百箇日の法要を行います。

その時お墓に納骨予定。

秋には京都の本山へ納骨に。

やれやれ、自分の時は樹木葬にしてもらおうっと。

ではまたね。

 

 

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