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北風のきまぐれ日記~母のがん記録~

北海道在住/気まぐれ日記から題名を変更
母が膀胱がん告知、現在抗がん剤治療中。記録として残していきます。

今日で四七日(よなのか)です。

毎週、近所に住んでいる母のお茶飲み友達が果物やお菓子を持ってきてくれます。

 

この方は旦那さんを数年前に亡くし、一人で住んでいます。

子供さん達は離れて住んでいるので、母と私が「何かあったらうちにおいでよー」と言って

母がいた時は最低週1でお茶を飲みに来ていた方です。

母がいなくなっても、たまに私の様子を見ながら話をしに来て、一緒にお茶を飲んでいます。

 

亡くなった時も深夜に帰宅したにもかかわらず、ずっと朝まで家にいてくれました。

毎日来てくれて家の中の事もしてくれましたが、葬儀など全部終了した後、母を思い出し

亡くなってしまったことがショックで少し精神的に辛かったと、あとから話してくれました。

今では元気になり「お母さん、少し早すぎよー」と言ってはお参りしてくれます。

 

先日は同級生夫婦も遠方からお参りに来てくれました。

奥さんが同級生、旦那さんは年上で仕事の関係で最初はこちらに住んでいましたが

20年近く前に異動でこの町から離れ、今は離れた場所に住んでいます。

結婚前は旦那さんが同じ町内で、すぐ近くに住んでいたのでよく家にも来ていたこともあり

2人とも母の祭壇にお参りした後「母さんが亡くなったの信じられない」

「写真のままの笑顔でずっといると思っていたから、具合が悪いなんて全然知らなかった…」

と言って、母の写真を見つめていました。

「そうだよね。みんなそう言うの。本当に限られた人にしか病気の事は言っていなかったから」

「最近見ないねと聞かれても、あちこち痛がってるから外に出さないんだとか言ってたから」

自分から「膀胱癌で病院通いしています」とは言えないですよね・・・

 

母と従姉妹になる親戚も「まだ病院に入院している感じでいるんだよね。お参りに来てさ

お骨を見て、あぁ、やっぱりいないんだなぁーって現実に戻されるんだよね」

母が亡くなり自宅に戻ってきた深夜、母の顔を見てめているその背中は本当に小さくて

ショックを隠し切れない状態でした・・・

火葬するギリギリまで、毎日、母に何かを話しかけていたおばちゃん。

今でもお参りに来ると「何でこんな早くに行っちゃったのかねー、少し早かったんじゃないの」

「兄ちゃんが迎えに来たのかい?もう少し待ってって言えばよかったのにね」

「でもそんな状態ではなかったんだよね。痛くて痛くて辛かったんだよね」

「兄ちゃんがもうガマンしなくていいから行くぞって連れて行っちゃったのかねー」と

写真に話しかけます。

 

知り合いの方々がお参りに来てくれるので、いつもお花やお供え物がたくさんあがっています。

うちだけでは食べきれないぐらいのお菓子などお供えされていた時もありました。

本当にありがたい・・・きっと母も「おなかいっぱい」と言っているかもしれませんね。