暑中お見舞い申し上げます晴れ 暴力的な暑さが続いていますが、ご無事でいらっしゃるでしょうか。私はネットを駆使して完全にひきこもり生活ですしょんぼり

 

さて、人間関係に悩んでいらっしゃる方のコミュニケーションに共通していることとして、アサーティブな表現が使えていないということがあります。

 

アサーティブというのは、自分も相手も大切にした自己表現です。

 

このスキルがないとどうなるかというと

①攻撃的、感情的:言いたいことをそのまま言う、平気でダメ出し、過干渉、無視

  →本人に悪気はなくても相手が傷つくことがある(ハラスメント加害の典型)

 

②非主張的、受身的:断れない、頼めない

  →がまんして合わせることが多くストレスがたまる

   ①のターゲットになりやすい

 

③①+②の混合型:遠回しに匂わす、省略や後出しが多い、試す

  →実は本人が混乱しているのだけど、相手にとっては本心がわからず警戒せざるを得ないため信頼関係を築きにくい

 

カウンセリングには、①②③どのタイプの方もいらっしゃいますが、今回取り上げたいのは主に③のタイプについてです。(②にも少しふれます)

 

今でも日本人のなかには、察することをよしとする文化があると思います。私もかつては察することは美徳かつ慎み深く謙虚なことだと思い、自分にも他人にも察することを求めていました。
 
でも、今は違います。むしろ、「察して」つまり「わかって」は甘えすぎで、ストレスやトラブルのもとだと思っています。
 
大人は自分の言動に責任があります。つまり、わかってほしければ、相手にわかるように表現するのが大人の責任であり、「察して」「言わなくてもわかって」というのはその責任を相手に丸投げする行為です。謙虚や奥ゆかしさとは相反するものです。
 
「察する」を求めるのは、言いかえると、「試す」「テストする」と同じです。試されるのは、答えがあるのに出し惜しみされているかんじ、後出しじゃんけんをされるような気分の悪さがありませんか。
 
「察して」の人は、話の省略や後出しも多く、「え、そういうことだったの?」となりやすく、悪意がないのはわかっていても、話がわかりにくくて消耗しやすいです。話を省略すると、相手は混乱し、誤解のもとになります。本当はわかってほしいのに、真逆の結果になってしまいます。
 
ただ、こうしたこじらせ表現をする人は、本人も生きづらさに苦しんでいて、自分が相手を困らせていることまで気が回っていないことが多いのがやっかいなところなんですよね。
 
でも、わざとじゃなければ何でも許されるってことはありません。くり返しますが、大人は悪意や自覚があろうがなかろうが自分の言動に責任があるからです。
 
残念ながら、「言わなくてもわかってほしい」は望み過ぎ、甘えすぎです。大人なら、自分が望むことは相手にわかるように言語化するようにしましょう。また、察してくれない人を悪者にするのは筋違い、責任転嫁なので要注意です。
 
ちなみに、機嫌によって相手を動かそうとするのは、非常に不健全な支配欲です。近くにする人がいたらできれば逃げて、自分もしないように気をつけましょう。「匂わす」や「圧をかける」も同様にスルーしてOKです。(というか、ハラスメント事案です)

 

最後に、②と③の方は、意見を言うとなると①をイメージしてしまうことが多いですが、それは大きな誤解です。目指すのは攻撃ではなくアサーティブです。思ったことを言うのは共通していますが、攻撃はそのまま言ってしまう、アサーティブはスキルをつかって大人の表現に加工します。

 
アサーティブのスキルが身につくと自信がつきます。興味のある人は、ぜひカウンセリングにお越しください。お待ちしています。