2週間くらい前からPCの充電ができなくなり、問い合わせをしたらAC電源で使用するなら今のままでも大丈夫だけど心配なら修理に出すよう言われ、ダメもとでバッテリーを買って交換したら大成功し、IT音痴としてはものすごく嬉しくなりました。

 

さて、小さな月刊誌『PHPスペシャル』、今月の特集は、”「口ぐせ」で人生は楽しくなる!”

 

たしかに、口ぐせは大事です。以下は、私が避けていることばの例です。

 

・過剰な「ごめんなさい」

  何か問題があるとき、つい自動的に自分が悪いと思ってしまい、「ごめんなさい」や「すみません」と言ってしまいがちですが、客観的に見て悪くもないのに謝ってしまうのは、相手の責任を奪うことになり、相手の反省の機会も奪います。私も言いやすいので注意しています。

 

・「普通は」「絶対」「いつも」「正しい」

  これらは決めつけの代表的なことばで、自分も相手も追いつめてしまう、とても暴力的なことばです。ものごとに100%ということは滅多にないし、絶対的な正解もありません。昔はよく使っていましたが、今はほとんど使わなくなりました。

 

・「~べき」「~したほうがいい」

  アドバイス好きだった20代まではよかれと思ってよく使っていたのですが、その暴力性に気づいてからは使わないように意識しています。これは価値観の押しつけです。何か助言したいときは、「私ならこうするけど、最終的にはあなたが決めること。それを尊重する」というスタンスが大事です。

 

 

私の連載「働く女性のための相談室」、今回のお悩みは部下が子育て中で、フルに働けないのを他の部下もフォローしきれず困っているというもの。

 

これ、本当によくあることですよね。産休育休もしかり。今回は字数制限や相談者のご事情から触れませんでしたが、根本は、今いるメンバーがボランティアでフォローしていることにあると思います。つまり、根本的な問題は、経営の問題、もっと言えば、そうしたフォローのしかたを美徳(?)とする日本の会社文化のありかただと思います。

 

仕事はボランティアではありません。労働契約なのだから、負担が増えるのなら報酬も増えなければおかしいし、現場で負担しきれないなら期間限定で人手を増やすことが経営努力です。これらの対処をしないのは経営陣の傲慢怠慢だと思います。

 

彼らには職員に対して快適な職場環境を提供する義務があり、そのために高い報酬をもらっているのですから、働くうえでの不都合は我慢や遠慮をせずにどんどん上にあげていきましょう。

 

自己犠牲を美徳とするのは日本社会の悪しき風習です。自分で納得しているならいいのですが、そうでないなら自分で声をあげないと、現状で不満はないと思われて搾取され続けてしまいます。

 

「いつか報われる」「いつかわかってもらえる」は、残念ながらほぼありません。仕事でもプライベートでも、自分を犠牲にして尽くしてしまう傾向のある方は、勇気を出してNOを言って自分を守ってあげてくださいね。