タイトルに続く文章は次のようになる。
それは悪意をもった人々がいるからではなく、問題に対して無関心な人が多いからだ。
これはアルベルト・アインシュタインの言葉である。
昔々、聖書の創世記にある蛇の誘惑の言葉に疑問を感じたことがある。
「何故、神は知恵の好みを食べると死ぬといわれたのですか?」
知恵がつくと死ぬ。これをずっと考えていた。
勉強もそうだが、すればするほどいろんなことが見えて来る。
だから一生懸命勉強をする。しかし、人間であるから限界がある。
あまり勉強ばかりしていても、経済が赦さなくなる。
その時点で考えを変えて、生きていくために必要な経済行動をとる。
どのような考え方で仕事をするか一人ひとり考えかたは違う。
仕事をしたくとも、年齢制限により、働けない場合もある。
生きるとは、学問とは、こんなことを考えながら生きてきた。
ずっと学問を続けていると、経済的にアウトになる。食える学問ばかりではない。
論文を書くのでも、書きやすい論文と資料や実績があまりない学問もある。
で、どちらに走るか。当然書きやすい論文を書く。仕事に就く。
学問の始まりは経済的に余裕があり、学問だけをするということだった。
そのような時代はもう来ないのだろうか?
それとも神が学問ばかりしていては食えないと教えて下さったのだろうか。