だいぶご無沙汰になりました。
こちらのブログが空いてしまうのはいつものことなんですが(毎年の「今年こそは」宣言いい加減にせい)、今日は、今日こそは書かなきゃと思って。
メインで生息しているTwitter(Xに慣れない)でもハッキリとは触れてこなかったけど、やっぱり触れないわけにいけないだろと思って。

今日で、ジャニーズ事務所がその名を閉じます。
正直つらい。
名前なんて変えなくていいじゃん。どうせ変えたって“元”って着けるんじゃん。変えたって意味ないよ。
そう、今でも思っています。
これは、被害にあった方に対して気持ちを向けないという意味ではなくて。
でも、やっぱり。
「ジャニーズ」って名前に、言葉に込められた思いを思うと、捨ててほしくなかった。

タレントさんの言う「ジャニーズなんで」。
素晴らしいパフォーマンスをした時の「流石ジャニーズ」。

タレントさんたちが“ジャニーズ”を背負う時の、誇りと、喜びと、自信に満ちた表情を見るのが好きだった。

ジャニーさん自身に対してもそうです。
これは、ジャニーさんが亡くなった時に書いたものですが。
この時に綴った思いは、報道を知っても変わりません。
辛い目に遭った人は、本当にいるのかも知れない。その苦しみは、誰にも理解できないし、誰も踏みにじってはいけない。
でも、彼を慕ってきた人達の思い出まで汚れたものにしていいとは思いません。
彼らの話すジャニーさん面白話が大好きだった。
眠るジャニーさんのもとに集まった彼らが語った“温かい時間”。それが本物でなければ、あんなに笑顔で彼の話なんか今までだってしない。
ジャニーさんが作ってきたものに夢を見て、憧れて来たのは、事務所に集まった人達だけじゃない。私達ファンだってそう。
その思いに、何も偽りはないし、その思いだって踏みにじられたくはない。


今日、このブログを書くにあたってちょっと自分の過去の記事をさらってみたら、こんな一文がありました。

『好きなものに必死になることを、その想いを、誰も否定することは出来ないはずです。』

そうだよ。そうなんだよ。
ここ最近の騒動から、好きを好きと叫ぶことに躊躇してしまっていた。
好きという気持ちに、自分の思い出に、恥ずかしいことなんてないんだから。

私の大好きな人達は、最後まで自分達の誇りを掲げ続けていた。
魂は、想いは無くならない。変わらないと伝えてくれた。


私は、ジャニーズが好きです。
今までも。これからも。