美術館「えき」KYOTOで開催中の、
『菱田春草と画壇を挑戦者たち』を観に行きました。
東京美術学校(現・東京藝術大学)で、岡倉天心・橋本雅邦の指導を受けた菱田春草は、
西郷孤月・横山大観・下村観山とともに、
橋本雅邦の門下四天王と呼ばれています。
春草は『没線描法(ぼっせんびょうほう)』という、
輪郭を墨の線ではっきりさせず、刷毛でぼやかす日本画の技法を試みました。
当時『没線描法』は、『朦朧体』と揶揄され非難を浴びました。
『朦朧体』は今でこそ美術用語として確立していますが、
元々は、吉原界隈で運賃をぼったくる車夫が
『朦朧車夫』と呼ばれていたことから転じて生まれた言葉でした。
国内で批判的だった『朦朧体』は、その後 西欧で大ヒット。
数々の作品を発表し、益々の活躍が期待される中、
春草は36歳の若さで亡くなりました。
彼の生涯を知ったうえで観る作品は、
常に模索しながら、新たな表現技法を試みる力強さを感じます。
また、春草と同じく若くして亡くなった孤月の
失脚に至るまでのエピソードは、今回の絵画展で初めて知りました。
明治末、日本画における激動の変換期を生きた、菱田春草と画壇の挑戦者たち。
彼らの作品からは強い意志が伝わってくるように思います。
この美術展は春草の故郷 長野県にある、
水野美術館所蔵のなかから選出された作品によるものです。
水野美術館は、きのこのCMで有名な
ホクト株式会社の創設者・水野正幸が2002年に設立した美術館で、
春草や大観などの日本画を所蔵しています。
生涯行くことはないと思っていた長野県ですが、
近年、同級生が長野で事業を始めたこともあり、
会いに行きがてら 水野美術館にも訪れたいと考えるようになりました。