こんばんは
カウンセラーの平です。
日曜日の恋愛心理学を原カウンセラーと隔週で担当しています。
「彼をすごく愛しているのに、まったくうまくいきません」
「平さんに教わったように彼にコミットしつづけているのですが、なかなか彼がこちらをふり向いてくれません」
こんなご相談をしばしばいただきます。
が、よくよくお話を聞いていくと、じつは片想いで、一方的に彼を求めている状態であるということが少なくありません。
それなら、彼がふり向いてくれないとしても、ある意味、当たり前ですね。一方的に彼を求めているわけで、下手をするとストーカーに間違われる可能性もありそうです。
私は彼のことが大好きで、彼も私のことが好きで、そして、おつきあいしましょうという特別な関係なら冒頭のような文句が出ることもあるでしょう。
ところが、相談者が彼を思っているのは間違いないのですが、二人はおつきあいをしているわけではなんですね。
すると、彼女の思いは愛というより“執着”と呼ばれるものであることもよくあります。
執着をしているときは、「私の幸せは彼次第」となりがちです。この場合、彼があなたとつきあわないのだとしたら、あなたには幸せになる術がなくなってしまいますね。
あなたは、こんなふうに思ってはいないでしょうか?
「人生があれもこれもうまくいっていないけど、最後に彼と結婚することさえできたなら、一発逆転、幸せになれる」
これは、競馬でいうところの万馬券が当たるのを待っているような状況です。
ご存じのとおり、競馬は1着になる馬を予想するゲームでありますが、人によっては立て込んだ負けを最終レースで取り戻そうと考えることもあるものです。で、配当の高い馬に残り財産全部を賭けたりするわけです。
ところが、万馬券といえるような配当が着いているということは、ほとんど勝てる見込みがないと評価された馬ということですよね。その馬に残りの財産すべてを投じても、一般的に考えれば、傷口が広がるだけでしょう。
男女関係でも、彼とつきあって、結婚することで人生を大逆転しよう、私をバカにしていたあの人やこの人に「どうだ!」と目にものを見せてやるんだと考える人は少なくありません。
しかし、本来、愛というものは相手の利益を尊重するものです。
自分の利益のために彼を使っちゃおうということだとしたら、それは愛というよりも執着だとしか言いようがありません。
愛ならば、相手の幸せや喜びは自分の幸せにもなるものです。そして、相手からの見返りは、あってもなくてもあまり関係ありません。
一方、執着は、相手からもらいたいもの、いや、奪いたいものがあり、「それを手に入れられるのであれば、どんなことでもします」という状態です。もっと言えば、「奪うために与えている」ような状況です。
その行動の土台には、コンプレックスがあることが多いようです。
そして、彼が手に入らない、彼に拒絶されるというとき、あなたの傷はますます広がります。もともともっていたコンプレックスに塩を塗られたような状態です。
そんなとき、自分でそのコンプレックスを克服しようということはなく、代わりによりいっそう大物の彼を狙おうとすることは少なくありません。
大逆転を狙っているわけですが、当然ながらうまくいく確率はどんどん下がっていってしまいます。
このときも、求めているのは彼の愛というよりも、彼をゲットしたときの自分の状態といってもいいわけです。
ちなみに、彼とつきあうこと=自分が幸せになる手段・不幸からの出口、という意識がある場合、うまくいっているときは彼に対してとてもやさしいあなたが登場します。
逆に、うまくいっていなかったり、彼があなたから離れようとしたりしたときは、ものすごく大きな怒りや失望感に苛まれます。
それによって、彼を攻撃したり、自己攻撃したり、あるいは死にたいほどの失敗感に襲われることもよくあります。
愛なのか、執着なのか。
「私の幸せは、彼次第」となっているならば、彼への執着がだいぶ大きくなっているかもしれません。
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